イベリアエクスプレス BLOG https://www.iberia-ex.com ja Travel Blog マドリードの庶民のためのお祭り http:///blog/item/12864.html http:///blog/item/12864.html サン・イシドロ祭りは、マドリードの守護聖人であるサン・イシドロの日である5月15日までの数日間を祝う、由緒あるお祭りです。 スペインを代表する画家ゴヤも、彼の作品でこのお祭りを描いています。 生粋のマドリードっ子たちが生き生きとお祭りに参加する様子が天才画家の心に響いたのでしょうか。 というのも、このお祭りはスペイン三大祭りとはまた趣の違った庶民的なもの。 別名『農民のお祭り』。聖人イシドロが生きた11~12世紀には、農夫たちの中には満足に食事をできない者もおり、イシドロは彼らを自宅まで連れ帰っては自分も苦しいながらもご飯を振る舞っていたそうです。また、彼は水場をすぐに見つけることができたらしく、このお祭りの中でも中心になるのは水と聖人にまつわるものになっています。 お祭りはマドリードの市内7地区を会場として、サン・イシドロ公園にある礼拝堂に巡拝し、付近の噴水で湧き出る聖人の水を飲むという習わしがあります。市内各地ではパレードやコンサートの他にも、 スペイン最大級の闘牛祭もこの期間に合わせて行われ、ラス・ベンタス闘牛場では最高のマタドール(闘牛士)たちが集います。 お祭りが夜に差し掛かると、伝統のものからインディーズまで幅広いライブ演奏、お祭りの期間中はどんちゃん騒ぎが続きます。日をまたぐころになると、レティーロ広場からは空高く打ち上げられた花火を見ることができます 日中に盛り上がりをみせるお祭りのメイン会場・サン・イシドロ公園のプラデラ(芝生)には、カセタ(屋台)がたくさん並び、多くのマドリードっ子がカセタで買った食べ物を芝生に座って食べています。この公園には、お祭り期間中に巡礼をしている人たちもやってきたり、『チュラポ』と呼ばれるマドリードの伝統衣装、ゴヤ風の伝統衣装『ゴイェスコ』を纏った地元の人たちが、マドリードの伝統的な踊り『チョティス』の音楽が流れます。 期間中は毎年マドリード市内でコンサートが200近くも開かれ、カセタも多く出展されるので、ちょうどこの期間にマドリードを旅行される方は定番の美術館だけでなく、マドリードの庶民的な面を体験してみるのも面白いかもしれません。 このお祭り期間中に用意される食べ物についても、書いておかなければいけません。 もともと庶民的なお祭りであったということもあり、この時期によく食べられるものも同じく庶民的。代表的なものがエントレシホスという、仔羊の腸間膜という部位を油で揚げて塩を振ったもの。そしてガリネハスという仔牛のモツ。これらは最近モダンになってきているマドリード市内のレストランではまずメニューに載っていない商品だそう。 最近だとこの伝統的な料理に加えて、ロスキージャスと呼ばれるドーナツを食べてレモネードで流し込むという伝統が新たに加わったようです。 マドリード風レモネードには、ワインとレモンをべースに、スライスされたリンゴが入っています。ロスキージャスには、玉子入りのトンタス、トンタスに粉砂糖をまぶしたリスタス、白いメレンゲがのったサンタ・クララ、アーモンドを使ったフランセサスがあります。 Fri, 31 Jan 2020 00:00:00 +0900 『バルセロスの雄鶏伝説』 http:///blog/item/12855.html http:///blog/item/12855.html ポルトガルの観光地で必ずといっていいほど見かける雄鶏の置物、ガロ。 ポルトガル語で”雄鶏”という意味であり、ポルトガルの田舎町:バルセロスに伝わる『バルセロスの雄鶏伝説』というエピソードがもとになって全国的に広まることになります。 その昔、バルセロスで銀貨が盗まれるという事件が起きます。 平和な村の住人たちは「この村に住む者がそんなことをするはずがない。これはよそ者の仕業に違いない。」と考えました。丁度その時、町にはスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに巡礼に向かう途中、バルセロスの村に立ち寄った若い巡礼者が宿泊していました。村人たちは彼が銀貨を盗んだのではないかと疑い、裁判官のもとまで連れて行きました。 若い巡礼者は無実を主張しましたが、彼は縛り首を言い渡されてしまいます。 若い巡礼者は刑に処される前にどうしてももう一度裁判官に会いたいと懇願します。 裁判官の家を訪ねると、裁判官は丁度友人たちとの宴会の最中で、食卓にはたくさんのご馳走が並んでいました。 若い巡礼者はテーブルの上の鶏の丸焼きを指さして、『もし私が無実ならば、刑が執行される時、その丸焼きの雄鶏が鳴くだろう。』と叫びました。 裁判官たちは当然信じず、若い巡礼者は結局処刑場へと連れていかれてしまいます。 そしてついに絞首刑が執行されようとしたその時、丸焼きにされていたはずの雄鶏が本当に立ち上がって、高らかに鳴いたのです。このことに驚いた裁判官は急いで処刑場へと駆け付けますが、刑はすでに執行されていました。 ・・・ですが、彼の首に巻かれたロープが不思議とゆるんでいたことで、彼は奇跡的に一命をとりとめ、無罪で釈放されたのでした。 その後若い巡礼者は、本来の目的であったサンティアゴ巡礼を終え、数年後にこの町を再び訪れます。 彼に奇跡を起こしてくれた神に感謝し、聖母マリアと聖ヤコブに感謝を捧げる十字架を建てました。 現在もバルセロスのブラガンサ公爵邸跡には、この伝説にまつわる十字架(セニョール・ド・ガロの十字架)が残っており、石には絞首刑にされそうな若い巡礼者と雄鶏の姿が掘られています。この話は『バルセロスの雄鶏伝説』として語り継がれ、”幸せのシンボル”として、ガロの置き物が親しまれるようになりました。 現在ではポルトガル国内の大きなお土産屋さんならまず間違いなく取り扱っている商品です。もともとは伝説に出てくる丸焼きの雄鶏をイメージした黒色のみだったのですが、今や栓抜きやネックレス、キーホルダーなど、様々な色や形でグッズ展開がされています。 Mon, 27 Jan 2020 00:00:00 +0900 セビリアの受難週 http:///blog/item/12854.html http:///blog/item/12854.html  セマナ・サンタ(受難週)は、スペインの宗教行事で一番大事なイベントで、全国各地で一週間続きます。 一週間、というのもこの一週間はイエス・キリストがゴルゴダの丘で処刑されてから復活までの期間だとされています。この期間は学校も休校となり、町全体でこのお祭りを行います。 もともとこのお祭りは中世の対抗宗教改革の際、当時読み書きができる人が少なかったため、聖書を理解してもらうためには内容に即して劇のように御輿を作ったことが始まりなのだとか。春分の日から数えて最初の満月の次の日曜日がキリストが復活した日だとされ、お祭りはその一週間前から始まります。パソの各シーンはキリスト誕生に始まり、キリストがゴルゴダの丘に十字架をかつがされて歩く場面、磔に処される場面、聖母マリアがキリストを抱きかかえて涙する場面、そして一番の盛り上がりを見せる最後の日曜日には、キリストが復活したシーンで締めくくられます。 お祭りでは、プロセシオン(聖行列)と呼ばれる列が、特徴的な三角帽子をすっぽりと被ったコフラディーア(信仰会員)に続き、聖書の各シーンをモチーフにした聖母やイエスを模るパソ(御輿)、ブラスバンドが長蛇の列をなします。行列の通り道にはアルフォンブラと呼ばれる花だけでなく野菜やおがくずなども使った絨毯も準備され、これもまた思考を凝らせた色彩になっています。 このパソは教区の教会ごとに保存されていて、曜日によってそれぞれのパソが街を練り歩きますが、パソは大きいもので2000キロもあるため、コスタレロと呼ばれる担ぎ手が30人から50人が交代交代で運びます。キリストの苦痛を追体験するお祭りであるため、コスタレロとなる人は半日も重いパソを担ぎます。 セマナ・サンタの中で一番盛り上がるのは、木曜日から金曜日にかけてラ・マドゥルガと呼ばれる日をまたぐプロセシオンであり、この行列で登場するパソの多くは、セビリア市内で合計110以上あるパソの中でも長い歴史を誇るものばかり。特にマカレナのパソとカルバリオ・エスペランサ・デ・トゥリアナのパソは豪華で人気が高く、金曜日の出発を見ようとして多くの見物客が駆けつけます。 このセマナ・サンタが終わり、だんだんと暖かくなるとスペイン三大祭りのひとつでもあるセビリアのフェリア(春祭り)が始まります。 ■セマナ・サンタの基本情報 期間:イースターの前の1週間 【4月5日(日)から11日(土)】 場所:セビリア Fri, 24 Jan 2020 00:00:00 +0900 沈黙が聞こえる村 http:///blog/item/12839.html http:///blog/item/12839.html 今回のブログで紹介するのは、ポルトガルの最も美しい村の1つであるモンサラーシュ(Monsaraz)です。 一時期消臭力のCMでも使われたことのある村なので、見たことがある!という方もいらっしゃるもしれません。 天正遣欧使節団も訪れたエヴォラから約50キロほどいったところにあるモンサラーシュは、スペインとの国境付近のアルト・アレンテージョ地方の広い草原の中にぽつんとある小高い丘に位置しています。 その立地ゆえに、モンサラーシュは軍事的に重要な拠点であり、街のまわりには新石器時代から人が住んでいたことが確認されています。ローマ支配下に置かれた後も、西ゴート族、イスラーム教徒、ムーア人、ユダヤ人と支配が移り替わり、そしてポルトガルにレコンキスタの後には、初代国王アルフォンソ・エンリケエスの軍勢によってポルトガル人のものとなりました。それ以降も何度か戦乱に巻き込まれたモンサラーシュでしたが、現在のモンサラーシュの街がある場所は地域で最も高い丘であり、深い渓谷に面しているため、ユニークな中世の街並みが城塞跡に残されています。 村に到着したら、まずは村のメインストリート沿いにある教会へ足を運びましょう。教会前の広場を囲むように建ち並ぶ建物の白はとても印象的。南にある廃城跡を利用した闘牛場ではイースターや9月に闘牛祭りが開催され、この日ばかりは静かな村もにぎわうのだとか。 メインストリートでも端から端まで止まらず歩けば5分もかからず着いてしまうこの町は、30分もあれば全体を一周できます。小さいながらもおみやげ屋さんやレストラン・カフェも数軒あるので、数時間かけてゆったり巡ってみるのもいいかもしれません。どのおみやげ屋さんも日が暮れるとすぐに店じまいを始めるので、おみやげは早めに確保しておきましょう。また宿泊する人は多くありませんが、民家を改装した宿もなかなかに趣があります。 国内外で有名な場所ではあるのですが、交通の便がよくないため、観光に訪れる人はあまり多くありません。モンサラーシュの町は『日の出と日の入りに沈黙の音がする』と言われるほど静かで、晴れていたときの城壁から眺める、アレンテージョ地方の広大な大地の地平線に浮かぶ太陽の様子は絶景です。太陽が地平線に沈むまでに視線を遮るものがないため、本当に沈むときに音がするようです。日没後の街灯に照らされた町並みも、昼間とは打って変わって、どこか切なくて綺麗なものです。 ◆アクセス リスボンからエヴォラまで長距離バスもしくは電車で約2時間。バスでエヴォラからレゲンゴス・デ・モンサラーシュまで行き、タクシーまたはバスで更に20分程度で到着。 Mon, 20 Jan 2020 00:00:00 +0900 スペインの歴史が詰まった美術館 http:///blog/item/12835.html http:///blog/item/12835.html  今年2019年に開館200周年を迎えたスペイン・プラド博物館。 マドリードを初めて訪れた観光客がほぼ必ず訪れる一大観光名所でもあります。スペイン王室が蒐集した美術品の数々は世界最高峰とも言われ、中近世のスペイン黄金時代の歴代王族の圧倒的経済力を現在に残す重要な美術館です。 1819年に開館した当初は近世スペインを代表する建築家ビリャヌエバにより、南北にシンメトリーな作りの自然科学博物館を想定して造られましたが後に変更され、王家のコレクション約300点をメイン展示とした博物館として開かれ、現在では3万点近い絵画や彫像を所蔵しています。 博物館内は主に12~13世紀のスペイン・イタリア・フランス・フランドルの絵画を主に展示しており、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの三巨匠の作品は必見です。また、ボッシュやルーベンス、ブリューゲルらの作品も収蔵され、館内を歩いていると絶対に美術の教科書で一度は目にしたことのある作品を見つけることができます。 2007年には旧館であるビリャヌエバ館の隣に企画展示のための新館・ヘロニモス館がオープンしました。新旧館合わせた常設展示の作品は約1400点を数え、展示室の数も100近いので、しっかりと鑑賞されたい方は半日~一日は必要でしょう。 実は200周年を記念して、プラド博物館の全貌に迫るドキュメンタリー映画『プラド美術館 驚異のコレクション』が2020年4月10日から日本でも公開されるのだとか。 ドキュメンタリーではベラスケスやゴヤ、エル・グレコなど日本でも人気の高い画家やボッシュ、クララ・ピーターズの作品などに焦点が当てられ、天才たちの筆遣いを迫力満点で伝えます。保存・修復作業風景や新しいプロジェクトに参加する建築家たちの声を通して、いまだ知られざる魅力に迫る作品となります。中々ヨーロッパは、、、と考えていらっしゃる方は、このドキュメンタリーを観てみるのもいいかもしれませんね! 今回のブログでは旧館の常設展示で有名な作品とその成り立ちを説明していきます。 ◆ビリャヌエバ館(旧館)・地上階 ・『快楽の園(El Jardín de las delicias)』(56A) 独創的な作品造りで知られるヒエロニムス・ボッシュの代表作。 高さ2メートル20センチ、横幅4メートルの三枚のパネルからなる祭壇画で、左から『地上の楽園』、『快楽の園』、『地獄』と名づけられています。 左のパネル『地上の楽園』は、名前の通り聖書に登場する【エデンの園】であり、神がアダムとイブを引き合わせていますが、池の右に立つ木に蛇が巻き付けていることから、やがてアダムとイブがリンゴを盗み、楽園を追放されてしまうということを暗示しています。 真ん中のパネル『快楽の園』では画面一杯に天地創造が表現され、一糸まとわぬ男女が一面にこれでもかとばかりに描かれています。この絵では男を快楽に誘う存在として様々なメタファーを用いて女性が表されています。例えば男たちがまたがっている動物たちは男たちの下劣な感情を、ムール貝から足がはみ出しているのは言わずもがなで、イチゴははかない肉体的な快楽の象徴だと言われています。 右のタイルは『地獄の世界』と呼ばれ、エデンの園を追放された人間が快楽に溺れたことで、地獄でその罪を償うこととなります。前の二枚とは打って変わって、ダークなタッチの中でボッシュの独創性が遺憾なく発揮された不気味な悪魔達が裸の人間たちを追い立てる様子が描かれています。 ・『死の勝利(El Triunfo del la Muerte)』(56A) 『快楽の園』と同じ部屋にはボッシュと同時期に活躍した巨匠・ピーテル・ブリューゲルの『死の勝利』は、「死の前には何人も平等である」というテーマをよく表しています。これは当時の日常的な風景を表していると考えられ、がりがりにやせ細った兵士たち迫りくる死に対して儚い抵抗をする様子が描写されています。農民から王様まで全員が殺され、彼らの骸骨を荷馬車に満載してそれを白馬にまたがった骸骨が引いています。荷馬車の前にいる赤いマントの人物が王様で、宝物を略奪されています。ブリューゲルが描いたこの『死の勝利』は絶望的な描写によって、階級に関係なく人々に襲い掛かる”死”に圧倒されます。 ・『マドリード 1808年5月2日(El dos de mayo de 1808 en Madrid)』と『マドリード 1808年5月3日(El tres de mayo de 1808 en Madrid)』(65) 本作は『1808年5月2日 エジプト人親衛隊との戦闘』 『1808年5月3日 プリンシペ・ピオの丘での虐殺』の連作になっていて、スペインがフランスから独立を勝ち取った後、ゴヤがこの戦いの中でスペイン人の英雄的行動を永遠に遺したいと政府に申し立てて作り上げたものです。前作はフランスの侵攻に抵抗してエジプト人親衛隊をマドリードの市民たちが奇襲する、というもので構図もなく、まさに”奇襲”という言葉を表しているような混沌具合が描かれています。後作は翌日鎮圧された暴動に加担した市民たちが女子供を含めて400人以上が銃殺刑に処されている場面が描かれています。銃殺隊に対して、市民たちは怒りとも悲しみとも取れるような表情を露わにしています。 ・『我が子を喰らうサトゥルヌス(Saturno devorando a un hijo)』(67) ゴヤは晩年に近づくと耳が不自由となり、情緒不安定となっていたことで、それまでの彼のタッチとは全く違う、狂気に満ちた「黒い絵」のシリーズを書き始めました。博物館のこの部屋に飾られているのは彼が別荘に籠もり、戦争と革命によって疲弊していくスペインを鋭い観察眼で描写した14作品にも及ぶ「黒い絵」が収蔵されており、この『我が子を喰らうサトゥルヌス』です。観るもの全てに強いインパクトを与えるこの絵画は、白髪を振り乱した裸の巨人が実のわが子を貪り喰らう様子が描かれています。子どもの頭部はすでに無く、巨人はまさに左の腕を噛みちぎろうとしています。この絵のモチーフはローマ神話から来ています。天空神ウラノスと大地の女神ガイアの子として生まれた巨人サトゥルヌスは、大鎌で父を殺してしまうのですが、死に際の父の言葉に終始怯え続けることになります。それは「いつかお前も自身の子どもに殺されるだろう」というもので、サトゥルヌスは恐怖のあまり5人いた子供を次々と飲み込んでしまった、というものです。ゴヤが描いたサトゥルヌスの表情は、自分が犯してしまった愚行に認識が追いつかず、愕然としているようにも見えます。 ◆ビリャヌエバ館(旧館)・1階 ・『胸に手を置く騎士の肖像(El caballero de la mano en el pecho)』(08B) ギリシャのクレタ島で生まれたエル・グレコ。この名前はスペイン語で”ギリシャ人”というあだ名で、本名はドメニコス・テロトコプーロス。彼の絵は宗教画がほとんどで、作品の特徴としては極端なまでに引き延ばされた人体と独特な光の表現法。暗い色彩を用いながらも、所々で鮮やかな色を用いる技法はビザンティン世界のイコン画を彷彿とさせます。 ・『ラス・メニーナス(Las Meninas)』(12) 大きな部屋に展示されているのは、セビーリャ生まれで宮廷画家として活躍したベラスケスの最高傑作。「女官たち」という意味のこの作品を語ろうとすれば、それだけで数時間かかるとも言われるほど。なんといっても作品の構図が面白く、真ん中のマルガリータ女王の後ろにある鏡には絵筆を持ったベラスケス本人と彼の主でもあったフェリペ4世と王妃の肖像画が映っています。つまり、鑑賞している私たちの立っている場所こそが国王夫妻が立っている場所でもあるのです。肖像画のデッサン中に王女とお付きの女官たちが遊んでいる、という場面を切り取った作品です。 ・『三美神(Las tres Gracias)』(29) バロック絵画の巨匠であるルーベンスの作品を、フェリペ4世は広く蒐集し、プラド博物館が収蔵する彼の作品は世界最多とされる。そしてこの『三美神』は愛の女神ヴィーナスに仕えており、田園風景の中で裸体を自慢気にさらしています。こうした裸婦像はルネサンス期からロココ、ルノワール時代において展開されていきます。 ・『カルロス4世の家族(La familia de Carlos IV)』(32) 宮廷画家であったゴヤの主であったカルロス4世とその家族を描いた作品です。人間の内面を描写することに長けていた彼の作風は、この絵にも表れています。なぜか一番偉いはずの国王カルロス4世が右端に追いやられ困り顔。真ん中には王妃のマリア・ルイサが胸を張っています。国王夫妻以外には国王の兄弟姉妹やこどもたちが描かれているのですが、その中には王妃とその愛人の間に生まれた子どももいます。そして普通なら美男美女に描くであろう国王夫妻であっても、ゴヤの”ありのままに描く”というスタイルをとっていたのだとか。当時の世情もあいまって、これからやってくる暗い時代を映し出した作品です。 ・『着衣のマハ(La maja vestida)』と『裸婦のマハ(La Maja desnuda)』(36) ”マハ”とはスペイン語で美女のこと。この「着衣のマハ」「裸婦のマハ」が描かれた18世紀当時に裸婦画は禁止されていましたが、上流階級の方々は隠し持っていたのだとか。この2枚のマハを持っていたのはマリア・ルイサの愛人とも噂された首相ゴドイだったとか。 いかがだったでしょうか。スペイン王室の内情や中近世の世相、宗教画などの他にもイタリアやフランドル絵画も充実していますし、館内にはミュージアムショップやカフェもあるので休憩しながら1日かけて作品鑑賞に費やしてみるのもいいかもしれません。もはやスペインの歴史博物館とも言えるプラド博物館でした。 ◆インフォメーション◆ 住所:Paseo del Prado, s/n 電話:902 107 077 公式HP(英語):www.museodelprado.es/en 開館時間:月~土 10時から20時まで      日・祝 10時から19時まで (入場は閉館の30分前まで) 休館日:1/1、5/1、12/25 料金:大人15€、学生無料、65歳以上7.5€、日本語音声ガイドは別途4€ (月~土の18時以降と日・祝の17時以降は無料) アクセス:メトロ2号線バンコ・デ・エスパーニャ駅または1号線アトーチャ駅から徒歩8分 *注意* 博物館に入場する際にはセキュリティチェックがあり、カメラやペットボトルは持ち込めません。荷物は入口のクロークに預けることができます。 Fri, 17 Jan 2020 00:00:00 +0900 中世と現代の建築が入り混じる街 http:///blog/item/12816.html http:///blog/item/12816.html  ポルトガル北部・『ポルトガルの庭園』と呼ばれるミーニョ地方は、雨が多いために緑が豊かな農産地帯で、ヴィーニョ・ヴェルデ(緑のワイン)の産地としても知られています。 中でも、リマ川沿いに位置する港町ヴィアナ・ド・カステロ(Viana do Castelo) は、ポルトやスペインのヴァレンサから日帰りできる観光地です。北部でも最も美しい街と呼ばれ、『リマの女王』という二つ名もあります。 この街は13世紀半ばにアルフォンソ3世がこの地に街を築いたことから始まり、16世紀になると大航海時代の到来によって港が活気づきました。この街に残る重要な遺産はこの時代に建設されたものが数多く残っています。この時期の建築物は航海に関する紋章が描かれたものを初め、マヌエル、ルネサンス、バロック、アール・デコなど様々な様式で描かれています。レプブリカ広場の周りは昔ながらの街並みが残っており、広場にはカフェテラスが並びます。駅から見て北側にはサンタ・ルジア山があり、頂上にある教会とポサーダからは街の全体像が見渡せます。旧市街の中心部であるレプブリカ広場の観光案内所でパンフレットを受け取ったら、旅行をスタートさせましょう! 広場には16世紀に建てられたミゼリコールディア教会と噴水、歴史的な市庁舎があり、その近くにはロマネスク様式の大聖堂やマトリス教会があります。この街は金細工でも有名で、衣装と銀の博物館や芸術考古学博物館 、ジル・エアネスの船などでその繊細な作品を見ることができます。そして港のヴィアナ・ド・カステロ造船所は、1950年代に造られた病院船ジル・エアネス号博物館として、商業用ドックに錨を下ろしています下ろしています。 またこの街の特色としては、中世の建物のすぐ近くに現代建築が同居していることです。フェルナンド・タヴォラ作のリベルダーデ広場やアルヴァロ・シザ・ヴィエイラ作の図書館、カヒーリョ・ダ・グラサ作のユースホステル、そのほかにも文化センターやホテル・アクシスなども有名です。 ◆旧市庁舎 16世紀に建てられたゴシック様式のこの旧市庁舎は、一階部分はマーケットで、二階部分がかつて街の議会として使われています。建物の正面にはポルトガルの国旗にもある天球儀と十字架が特徴的な「500の噴水」があります。 ◆サンタ・ルジア教会 標高249メートルの小さな山で、ヴィアナ・ド・カストロの街並みを見渡せる頂上は公園として開放されています。その公園の敷地内には、街のアイコンでもあるネオ・ビザンチン様式のサンタ・ルジア教会と国営ホテルであるポサーダが佇みます。教会の展望室からはリマ川と大西洋、街並みが一望できます。山頂まではケーブルカーで片道5分程度、徒歩だと30分程度で行くことができます。 ◆芸術考古学博物館 18世紀のバルボーサ・マシエル邸を博物館として改装したもので、1階にはこの街で作られた陶器や金細工、家具などが、2階では昔のベッドルームやチャペルが残されている。また博物館の壁を飾るポリカルポ・ベルナルデス作のアズレージョは必見です。 ◆ミゼリコールディア教会  中世に造られたルネッサンス様式の病院に隣接しており、内部の壁が美しい彫刻やアズレージョで覆われています。 ◆アゴニア教会 18世紀に着工建設に長い時間が掛かり、最後の鐘楼が完成したのは19世紀となった教会。アンドレ・ソアーレスによる礼拝堂の彫刻が見どころです。また、毎週金曜日になると教会前の広場には市が立つため、そちらも一緒に巡ってみては? ◆ロマリア祭 毎年8月の第3週には別名「嘆きの聖母巡礼祭」とも呼ばれる、ロマリア祭が行われます。この祭りの期間中、街にはポルトガル全土から巡礼者や民族衣装で着飾った人々、観光客が街にあふれます。漁師の守護聖人である嘆きの聖母像が海への感謝を捧げる祭りに用いられます。祭りでは、民族衣装を着た人々たちがフォークダンスを披露するパレードが繰り広げられ、マーケットや牛追い、花火なども行われます。最終日には黒装束と白いスカーフを纏った女性たちが聖母を祀るアゴニア教会への行列を行います。またこのお祭りとは別に、5月の第2週末にはこの街の近くでバラ祭りが開かれます。民族衣装の美しさと太鼓の音が鳴り響きます。 海に面したのどかな街であるため、ロマリア祭以外の時期はゆったりとした時間が流れます。街の周囲では、自転車や徒歩で海岸やリマ川沿いを走ってみたり、夏場にはサーフィンやボディボード、ジェットスキーやセーリングなどのアクティビティを楽しむこともできますよ Mon, 13 Jan 2020 00:00:00 +0900 黒いマリア像 http:///blog/item/12808.html http:///blog/item/12808.html  日本から多くの人が訪れる、スペイン第二の都市・バルセロナ。 カタルーニャ地方のこの大都市はなんといってもガウディ建築の集大成・サグラダ=ファミリアで非常に有名です。 ですが、バルセロナの郊外にこのサグラダ=ファミリアの奇妙な形状のもとになったとも言われる山があるのはご存知でしょうか。 バルセロナから電車で片道1時間半ほどのところにある、カタルーニャ語で”モンセラート(のこぎり山)”という名のこの山は、標高1241メートルの頂上から裾野にかけて切り立った奇岩がいくつも寄り集まっており、ひとつの塊となっています。 冒頭でも紹介したスペインを代表する建築家・ガウディは、バルセロナの各所にサグラダ=ファミリアをはじめ、グエル公園、カサ=バトリョなどユニークな建築を残しています。そんな彼が足しげく通ったのが、このモンセラートでした。一説にはガウディ建築の多くがこのユニークな山にインスパイアされたものなのだとか。確かにモンセラートと彼の作品の曲線には似ている部分もあるかもしれませんね。   山の中腹、標高700メートル地点にある聖母マリア修道院は、黒いマリア像や世界的な少年聖歌隊によるミサで大変有名です。この修道院はその山に呑まれたような外見もさることながら、サンティアゴ・デ・コンポステーラと並ぶ、カトリック・ベネディクト会のスペイン二大巡礼地となっており、古くから祈祷のために信者が訪れる場所となっています。 この修道院の成り立ちとして、12世紀にこの岩山に光を見た羊飼いの子どもたちは、山の洞窟の中で大きな聖母子像を発見しました。これを知った教会の司教は、何とかその洞窟からこの像を運び出そうとしますが、重すぎて運べません。こうして最初の修道院がこの像の周りに形作られていきました。その後19世紀初めのナポレオン軍の侵略によって、火災と略奪に遭い、修道院は破壊されました。ですがこの黒いマリア像だけは修道士や地元の人々の手によって、侵略前に山中の洞窟に隠されており、無事だったということです。このニュースを知った当時のローマ教皇は、聖母マリアをカタルーニャの守護聖人と認めたそうです。その後もスペイン内戦や第二次世界大戦でもファシスト政権から迫害されますがなんとか存続し、現在の姿があるとのこと。 その後も、黒いマリア像を触るとどんな願いも叶うという噂がどんどん大きくなり、スペイン国外から多くの人々が参拝するようになっています。 モンセラートに到着したら、まず修道院付属の教会堂を目指しましょう。ロープーウェイや登山鉄道が到着する山頂駅からは歩いて5分程で、土産屋、カフェテリア、ホテルなどが並んでいます。 12使徒の彫像の下をくぐって教会堂に入ると、正面の祭壇上部には洞窟で見つかったとされるラ・モネレータとの別名もある黒いマリア像が祀られています。このマリア像は12世紀のものと推測される木彫りの像で、聖母の膝に座るキリストは19世紀に復元されたもの。この教会を訪れた信者たちは教会堂の脇を通り、このマリア像にタッチして思い思いの願い事をしています。 この像は防弾ガラスに包まれており、マリア様が世界や宇宙を象徴する球を持っています。なぜこのように真っ黒な像になってしまったのかという理由については諸説あるらしいのですが、作られた当時は白かった像がろうそくのすすで黒くなってしまったという説が有力だとか。また、周りは絢爛豪華なモザイクで装飾が施されているのですが、そのうちの一人がガウディなので探してみて下さいね!教会堂内は撮影OKなので、訪れた方の多くがマリア像と一緒に写真を撮っています。 このマリア像と並んで有名なのが、エスコラニアと呼ばれる少年聖歌隊が歌うミサ。14世紀にまで遡るヨーロッパ最古の少年聖歌隊で、通常時は13時から(日曜と祝日は11時から、事前に公式HPにて要確認)行われるミサでその美しい歌声を聞くことができます。地元カタルーニャ州の9~14歳までの50名ほどのメンバーによる聖歌隊は入るのに大変厳しい試験があることから、非常にハイレベルな歌声を疲労してくれます。このミサは観光客に非常に人気のため、良い位置で鑑賞したい場合は席の確保をお早めに。 このほか教会堂前には修道院所蔵の宝物や考古学品、エル・グレコ、ピカソ、ダリ、ミロなどの絵画を展示するモンセラート美術館があります。 時間があれば、ケーブルカーでサン・ジュアン展望台まで登ってみましょう。モンセラートの頂上近くに位置する展望台からの眺めは絶景です。晴れた日には山の更に向こうにフランスとの国境沿いのピレネー山脈も見渡せます。 この展望台からはサン・ジュアンやサンタ・コバまでのハイキングコースも複数あり、絶景を間近で見てみたい方はそちらを歩いてみるのもおすすめです。 ◆サン・ミゲル展望台 修道院の方から見上げた時に、大きな十字架がぽつんと立っているところがサン・ミゲル展望台です。この展望台まではサン・ジュアン展望台から片道40分程で、簡単なハイキングをしながら絶景を見たい方におすすめです。 ◆サンタ・コバ サン・ジュアン展望台から片道20分程のところにあるのが、教会堂に安置されている聖母マリア像が見つかったとされる洞窟、サンタ・コバ。不思議な伝説が数多く残るこの洞窟には教会が建てられており、教会の中を見ることができます。この教会まで続く道の途中には、ロザリオの秘跡を表す15のモニュメントがあり、その内のひとつ、『キリストの復活』はガウディの作品となっています。 これらハイキングロードから名前の通りのこぎりのような岩山を眺めると、現在も修道士たちが暮らす自然と調和した修道院を見ることができます。 Fri, 10 Jan 2020 00:00:00 +0900 緑のワイン http:///blog/item/12814.html http:///blog/item/12814.html 皆さんはポルトガルのワインと聞けば、どんなワインを思い浮かべますか? ポルトで熟成されたポートワイン?それともマデイラワイン? もちろんその2種類は共にポルトガルを代表するワインですが、それらに加えて最近だんだんと注目されつつあるポルトガル発のワインが”ヴィーニョ・ヴェルデ(Vinho Verde)”です。ポルトガル国内では昔からビールの代わりとして親しまれてきたワインで、近年ワインをより気軽に楽しみたいという声を受けて、15年ほど前から日本にも輸出が開始されました。 今回のブログでは、簡単に産地や特徴についてご紹介したいと思います。 そもそも”ヴィーニョ・ヴェルデ”とは、ポルトガルとスペインの国境地帯を流れるミーニョ川流域のワイン産地です。この地のワイン造りの歴史は古く、記録に残っている一番古い記述が紀元前のローマだというのだから、少なくとも2200年はぶどうを栽培している、ポルトガル国内でも最古の産地です。 この地の約2万ヘクタールという規模のぶどう畑は、標高の低い海の近くから最高地点で700メートルほどの差があり、気温も夏は涼しく、冬は暖かく保たれます。それに加えて、ワインの産地にしては年間の降水量が多いことから、緑が青々と茂り、”緑の地”と呼ばれ、ワインも”緑のワイン”と名づけられているのです。 この”緑”は青々とした土地で育てられていること、フレッシュさ、若々しさを表していて、その理由は産地と製法と言えるでしょう。というのも、このワインは一部10%より低いアルコール度数とフレッシュな微炭酸であることが特徴です。 このワインに使われるぶどうは通常のものより1、2か月早く熟す前に収穫されます。早めに摘むことでアルコール度数が比較的低く抑えられることと、発酵の途中で出る気泡がワインに残りやすく、とてもきめ細かい泡を感じられるワインになります。加えてぶどうの品種次第でも味が変わり、品種の特性を活かすために収穫の時期を変えたりしています。 もともとこの地域を含めて、ポルトガルでは農地は相続によって引継がれていくため、ぶどう農家は小規模なものが多く、これまでは収穫したぶどうをワイナリーに納めてワインにしてもらう、なんて分業のところも多かったみたいです。それに降水量が多いこの地域では、これまでポルトガルのマーケットで不動の人気だった赤ワインの深い味わいを引き出すことに不向きでした。ですが、最近は強味を活かせる白ワインも有名になってきており、今や地域生産の8割程度を占めているのだとか。さらに生産全体の半分は国外への輸出に回しているというのだから、国内外での”緑のワイン”の人気が伺えますね。 最近では、年配の方を中心に外国からの観光客がワインを目的にワイナリーでテイスティングをしたり、ホテルが併設されたワイナリーの場合には泊まったりしたりするワインツーリズムも人気を博しています。 ポルトガルのワイン法では、このヴィーニョ・ヴェルデの生産にあたり、使用できるぶどうの品種を、白ワインだとアルバリーニョやアリント、アペソなど。赤ワインならばアルバレニャオやアマラル、エスパデイロなどと規定しています。あまり日本でメジャーな品種ではないですが、どれもポルトガル土着の品種です。こうして決められた品種や製造方法をクリアしたワインのみが『D.O.Pヴィーニョ・ヴェルデ』として販売できるんです。 これまでにご紹介してきた通り、比較的低いアルコール度数と軽めの口当たりがこのワインの特徴です。 そのため、和食や魚介類を使用した料理との相性は抜群です。また、果物やサラダなどさっぱりとしたものにも合うため、日本の家庭料理とも相性はいいこと間違いなし。ワインならば飲む前の晩に冷蔵庫で冷やしておいて、飲む直前に室温にさらせば丁度いい塩梅になります。 もし日本国内で売られているのを見かけたら、是非買って、飲んでみて下さいね~ Mon, 06 Jan 2020 00:00:00 +0900 スペインの年越し、幸せを願う12粒 http:///blog/item/12815.html http:///blog/item/12815.html 皆さま、今年度は大変お世話になりました。また来年もイベリアエクスプレスをよろしくお願いします! さて、今回のブログはスペインの年越しについてです。 日本の年越しといえば、除夜の鐘を聞きながら年越しそばが風習ですよね。実はスペインにも似た習慣があります。スペインではお寺から聞こえてくる除夜の鐘が教会の鐘となり、食べるものがそばからぶどうにチェンジします。 この習慣は新年を迎えるタイミングで12粒のぶどうを年越しに鳴る12回の鐘の音に合わせて食べる、というものです。この12粒がそれぞれこれからやってくる新年の12ヶ月を象徴し、全部食べることでそれぞれの月の幸運を祈るという説や、全て食べ切れたら新年に願い事が叶うという説もあります。   またどうしてぶどうをそんなに急いで食べるの、という疑問が出てきますよね。 実はこの風習は110年前の1909年に、ぶどうが大豊作の年があったのだそうです。こうして折角のぶどうが余ってしまったため、ぶどう農家が『幸運を呼ぶ12粒のぶどう』として安く振る舞ったことが起源となっているんだそうです。これに年越しのイベントが混ざり、全国に広まったそうです。大きな街の広場では、どこも年越しのカウントダウンイベントが開かれています。中でもマドリードのソル広場(プエルタ・デ・ソル)とバルセロナのスペイン広場は、生でカウントダウンを迎えようと毎年大変な混雑になるようです。テレビの中継でもソル広場の時計塔が中継で映し出され、この鐘が鳴るたびにぶどうを食べます。 鐘は3秒に1回鳴るのですが、食べるぶどうはそこそこ大きい白ぶどうなので、意外と余裕かと思いきや途中から口がパンパンになることも。最近では種無しぶどうが売られるようになったり、スーパーや広場でも年越し専用に12粒入った缶詰や袋詰めのものが売られています。なんとかカウントダウンで全て食べきった後には、お祝い事でよく飲まれるスペイン産のスパークリングワイン・『カバ』で“フェリス・アニョ・ヌエボ(新年おめでとう)!”、と言って友人や家族たちと乾杯して、新年を祝います。この12粒のぶどうの風習の他にも、”カバのグラスの中に何か金色のものを入れていると運気が上がる”とか、”男女問わず赤の下着を着けていれば縁起がよくなる”などのゲン担ぎもあるのだとか。   この風習はスペイン以外にもフランスやメキシコなどラテンアメリカの一部でも見られるんだそう。もし今年の年越しをスペインで迎えるなら、12粒のぶどうとカバの準備をお忘れなく。 Tue, 31 Dec 2019 00:00:00 +0900 景観が素晴らしい断崖絶壁の街 http:///blog/item/12803.html http:///blog/item/12803.html アンダルシア地方の山間に位置するロンダは、グアダレビン川が長い期間をかけてこの土地を浸食していったことで現在の地形が生まれました。深いタホ峡谷を挟んで、向かい合う新市街と旧市街をつないでいるのは、高低差が100メートルもあるヌエボ橋(新橋)。この橋なくしてロンダは語れないと言われる、街のシンボルです。 昔からヨーロッパの人々を惹きつけてやまなかったこの街には、一見の価値ある断崖と豊かな歴史があります。 ・ヌエボ橋(新橋) ヌエボ橋は18世紀後半に完成した石橋で、40年以上の工事を経て完成しています。現在では通行の拠点にもなっているので、普通に使っている分には意識しませんが、橋を横や下から見てみると、建設機械もない中世にこんな壮大な建築を築きあげた人々の偉大さに驚かされます。是非旧市街側の展望台やハルディネス・デ・クエンカ、そして新市街側のパラドール横からは橋とどちらかの街の素晴らしい風景が、そしてモリーノス通りを下っていくと下から見上げるように新旧市街とヌエボ橋を見ることができますよ!ヌエボ橋の真横にあるパラドールからは橋を斜め横から見られるため、かなりの人気です。橋の内部にスクリーンで橋や街の様子を解説してくれるセンターもおススメです。 新市街と旧市街はこのヌエボ橋(新橋)のほかにも、イスラーム統治時代に作られたビエホ橋(旧橋)でも繋がれています。ビエホ橋で道が左右に分かれる分岐点では、左へと進むと古い教会にフエンテ・デ・オチョ・カニョスという噴水が。右へと進むとイスラーム時代の門をレコンキスタ後に建て替えた「フェリペ5世のアーチ」に出ます。このアーチを通るとまた左右に分かれ、右を行くとヌエボ橋へ、左に行くとイスラーム時代のシハラの城壁が見えてきます。 ・シハラの城壁 イスラーム時代には多くの村と同様に、ロンダも城壁に守られていました。数百年たっても堅牢な城壁は健在で、天然の難所であるロンダがさらに強化されていることが分かります。この城壁は上を歩くこともできるため、そこから見える乾いた大地と白壁の街が織り成すアンダルシア地方の光景は壮観です。2つある橋とはまた違う目線の高さなので行ってみてくださいね! ・闘牛場 こちらも18世紀の後半に造られた、スペイン最古の闘牛場。この街で生まれたフランシスコ・ロメロは牛を興奮状態に追い込むムレータ(赤い布)を考案したことで、現在まで続く近代闘牛術を形作りました。闘牛と言えば同じアンダルシア地方のセビリアも有名で、セビリアとロンダが近代闘牛の2大拠点になっています。隣にはロメロとその息子、孫をはじめ、この闘牛場が輩出した有名な闘牛士たちを記念した博物館もあります。毎年9月には中世風の衣装を身に着けて行う闘牛祭も行われます。 そして近くにはバルコン・デル・コニョと呼ばれる展望台があります。「コニョ」はびっくりした時の「ウワッ!」のような意味なので、さしずめ日本語に直すと「びっくり展望台」でしょうか。たしかに公園の端っこの柵から下を見て絶壁だったらびっくりしますね。 ・アラブ浴場 イスラーム統治下の14世紀前半に完成した浴場。馬蹄型のアーチによって天井を支え、光を取り入れる目的の星形の穴が天井にいくつも開いており、そこから太陽の光が射し込む様子はなんだか幻想的です。スペイン国内にはイスラーム統治下でつくられたアラブ浴場はこれだけではありませんが、その中でも比較的大きく、保存状態も良好です。 ・サンタ・マリア・ラ・マヨール教会 元々イスラーム教徒のモスクの跡地に16世紀に建てられた教会。鐘楼はムデハル様式のミナレット(尖塔)を改装したもの。バロック様式の黄金の祭壇にはロンダの守護聖人も祀られているなど、街にとって大事な教会となっています。教会のテラスからは白壁に赤茶の屋根が広がる光景が一望できます。絶壁に目が向きがちなロンダですが、こうした風景もまた美しいものです。 ・ピレタ洞窟 ロンダの街から車で20分ほど行ったところに約2万5000年も前のものだと考えられる旧石器時代の洞窟があります。そういった洞窟は内部の保護のために、レプリカが展示されている博物館にしか入場はできないが、どうせならオリジナルを見てみたい方はこちらの洞窟も考慮に入れてみてはいかがでしょうか。アルタミラ洞窟のような赤や黒の塗料を使った洞窟アートやこの洞窟の内部で発見された武器や骨、陶器などを鑑賞できます。洞窟の内部を進んでいるとかなり大きな魚の絵画や高さ20メートル近い空洞など、ユニークなものばかりになっています。洞窟内はやや薄暗く、肌寒いので懐中電灯や羽織るものがあると良いでしょう。 ロンダの周囲には白い村が3つほどあるため、時間に余裕があればロンダに一泊して周ってみるのも良いかもしれません。周りの白い村は日本旅行協会が”ヨーロッパの美しい村30選”にも選んだセニテルをはじめ、村からの眺めが素晴らしいグラサレマとサアラ・デ・ラ・シエラがあります。どれも街を歩くのが楽しい村々です。 ◆アクセス 鉄道:マドリードからアルへシラス行きに乗り約4時間程度、グラナダから約2時間半程度 バス:セビーリャから2~3時間程度、マラガからは約1時間45分程度 Fri, 27 Dec 2019 00:00:00 +0900 街全体が世界遺産:エヴォラ http:///blog/item/12778.html http:///blog/item/12778.html ポルトガルの首都リスボンから電車で南に2時間ほど行ったところにあるのが、今回ご紹介するエヴォラ(Évora) 。ポルトガルを代表する世界遺産でもあるこの街は、意外なところで日本との接点を持っていたりもします。 エヴォラの歴史は、イベリア半島の先住民族であるルシタニア人がこの地方の中心となる街を建設したことに始まり、共和政ローマ、西ゴート、ムーア人の手を経て、さらにポルトガル王朝の治世においても宗教改革の中心になりました。こうした変化に富んだ歴史のために、エヴォラでみられる建築様式はロマネスク建築・ゴシック建築・マヌエル建築・ルネサンス建築・バロック建築と様々です。 現在でも街には大聖堂や神殿、送水路などのこれまでの建造物が保存されています。街を歩いていると、そこらかしこで見かける建物ごとに建築様式が違っていたりして、小さな街ながら、飽きない散歩を楽しめますよ! ◆大聖堂 13世紀に完成した国内最大級の大聖堂は、長期にわたり建築が続けられたために、1つの建物ではありますが、メインの礼拝堂はバロック様式、翼廊の礼拝堂はマヌエル様式、パイプオルガンはルネッサンス様式、そして回廊はゴシック様式と一つの建物の中にいくつもの建築様式が混在しています。 上から見ると十字架のような造りとなっている大聖堂内部は、要塞のような外面とは打って変わって、荘厳で幻想的な雰囲気。礼拝堂はもちろん、傑作とも言われる聖歌隊席なども必見です。 そして日本との接点が、この教会内にあります。それはポルトガル最古のパイプオルガン。 1584年に日本のキリスト教宣教をより活発化させようと、本場であった欧州に派遣された4人の『天正遣欧少年使節』が、初めてヨーロッパの大地を踏みしめたリスボンからポルトガル国内を巡った際に、この大聖堂のパイプオルガンを弾いたと言われているのです。現在でも毎週のミサで奏でられているので、5世紀も前の大先輩達に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。 静かな回廊も堪能した後は、テラス式の屋上にも登ってみましょう。屋上からは大聖堂とエヴォラの街全体を見渡せます。時間によっては鐘の音を間近に聴けますよ! ◆アグア・デ・ラプラタ送水路 エヴォラの街を上空写真で見てみると、北側から街の中心に向かって突き刺すように延びている線が見えます。地表から見ても、エヴォラ市街を取り囲む城壁外から一直線に延びる送水橋は目立ちます。16世紀に水不足を解消するために市街から18キロ離れたグラッサ・ド・ディヴォルを水源として建築された橋で、現在もその半分の9キロが残っています。設計者はリスボンの観光名所『ベレンの塔』も設計したフランシスコ・デ・アルーダによるもの。アーチ部分は高いところで26mもあり、アーチが街の道路をまたぎながら中心のジラルド広場へと向かいます。 この橋が面白いのはその保存方法。街に入ってすぐのカノ通りに行ってみると、アーチの柱がそのまま家の柱に使われていたりして、橋と民家が一体になっている様子がなんだか面白いです。 ◆サン・フランシスコ教会 この教会は街全体が世界遺産に登録されているエヴォラ歴史地区の中でも、とりわけ独特な教会です。教会自体はマヌエルとゴシックが混在した重厚感がある教会です。ですが教会横の狭い通路を進んだ先にある、『カペラ・ドス・オソス』と呼ばれる人骨堂の内部はドーム状になっていて幻想的ではありますが、でこぼこしている壁や柱はすべて人骨です。 この5000体を超えるとも言われる人骨は、中世に大流行したペストや戦争の犠牲になった人たちで、美しい天井画と人骨が埋め込まれた壁が何とも言えない不思議な雰囲気を醸し出しています。人骨堂の入口には、「Nós ossos que aqui estamos pelos vossos esperamos(私たち骨は、あなたの骨をここで待っています。)」と、メメント・モリ的なキリスト教の教えが書かれています。 ◆ディアナ宮殿跡 街の中心部にある共和政ローマ時代の神殿です。 2~3世紀にかけて、ローマ初代皇帝のアウグストゥスを祀るために建築されました。また、月の女神ディアナに捧げられたのではないか、という説から『ディアナ神殿』と呼ばれています。また、この神殿前の一番眺めがいい場所に日本人彫刻家の北川剛一氏の作品が展示されています。その名も『波立つ海の中に光る満月』。宮殿を訪れた際には是非お見逃しなく! ◆ロイオス教会 15世紀後半に建てられたこの教会は、その内装がとても豪華!中に入ったらすぐ左右に広がる伝統のアズレージョは大変美しいものです。この教会のアズレージョには教会と縁が深かった聖ローレンスの生涯が描かれています。この教会はカダヴァル家所有の教会で、教会の床には代々カダヴァル家のお墓や、古井戸、人骨堂があります。この教会の修道院部分は現在国営ホテルのポサーダになっています。近隣にはカダヴァル公爵邸があり、エヴォラ最盛期には国王ジョアン3世と5世が住んでいた時期もあった由緒ある建物です。現在は博物館になっており、中庭はレストランとして使われています。 ◆エヴォラ大学 16世紀にイエズス会の神学校として始まった大学。ポルトガルではコインブラ大学についで2番目の歴史を誇ります。この大学の最大の見どころは、中庭をはさんだ教室ごとにはめ込まれたアズレージョです。それぞれテーマが違い、数学や心理学、歴史学などと書かれています。 エヴォラは小さい街ながら、街全体が世界遺産になっているということもあり見どころは盛りだくさん。アクセスもリスボンから電車またはバスで片道2時間ほどなので日帰り観光も可能ですが、どうせならゆっくりと一泊滞在してみて、昔遠い日本の地から欧州にまでやってきた天正遣欧少年使節に思いを馳せてみるのもいいかもしれませんね! Mon, 23 Dec 2019 00:00:00 +0900 年越しはマデイラ島で! http:///blog/item/12765.html http:///blog/item/12765.html  ポルトガルから遠く離れた、大西洋に浮かぶ海あり山ありのマデイラ島。諸島内で最大都市のフンシャルの町から内陸に入っていくと、一気に緑が濃くなり、切り立った山が迫ってきます。高さが30m近いユーカリの林や松林の中を走っていくと、標高1,094mの『エイラ・ド・セラード』の展望台に到着。さらに背後にある崖を登っていくとマデイラ島の最高峰(1,861m)のピコ・ルイヴォが見えます。 マデイラ島では、一年を通じてお祭りが開かれていて、2月の謝肉祭(カーニバル)や秋のマデイラワイン祭り、そして島の別名である『花の島』の名前にふさわしいジャカランダの花祭りも有名です。そしてお祭りの中でも一番の目玉は12月の中旬から新年の始めまで開催される、聖シルヴェストル祭です。 大晦日の年越し花火が有名で、この花火を見ながら年を超すために世界各地からクルーズ船やツアー客が訪れ、ちょうど深夜0時になった時に港に停泊する船が一斉に汽笛を鳴らして新年の訪れを祝います。 また、マデイラ島と切っても切り離せないのが、マデイラワイン。シェイクスピアが自分の命と引換えにしてもいいと絶賛したともいわれるワインです。世界三大酒精強化ワインに選ばれたその美味しさの理由はマデイラ島の島ながらに島内に海抜1800mの山がある地形があり、標高の違いを利用して様々な希少なブドウが栽培されたためだとされています。 それは酒精強化ワインというワインの発酵中に蒸留酒を加えることで、アルコール度数が一般的なワインより高く、辛口のものは食前酒に、甘口のものはデザートワインとして愛飲されています。またこの製法で作られたワインの特徴として、開栓後に空気に触れたとしても、ほとんど劣化しないことから、同じ味のまま長期間楽しめるワインになっているんです! 新年を祝いながら楽しみたいのがシーフード。中でも島の名物である黒太刀魚のグリルやムニエルは是非試してみて下さい。それ以外にもラパスという貝や牛肉のバーベキューなど、ビールやワインに合う食事はたくさんあります。 Fri, 20 Dec 2019 00:00:00 +0900 スペインで最も美しい村と古代の壁画 http:///blog/item/12726.html http:///blog/item/12726.html 今回はスペイン北部のカンタブリア州にある村・サンティリャーナ・デル・マルとその郊外にあるアルタミラ遺跡についてです。 15~18世紀の貴族の趣きのある家々が建ち並ぶこの村は、フランスの大作家ジャン=ポール・サルトルが『スペインで最も美しい村』と表現したほど。2011年から社会的なプロジェクトとして開始された「スペインの最も美しい村」協会にももちろん加盟しています。 街の起源は9世紀にまで遡り、トルコで殉教した聖フリアナの聖遺物を修道士がこの地に持ち込んだことで現存するサンタ・フリアナ参事会教会が設立され、その周辺に出来た集落がサンティリャーナ・デル・マルでした。近年で街はずれにある世界遺産アルタミラ洞窟への拠点としても観光客を集めています。 ■パラドール 市内中心部にある広場に面した立派な建物がスペイン国営のパラドールの一つ、パラドール・デ・サンティリャーナ・ジル・ブラスで、この建物の近くにももう一軒パラドール・デ・サンティリャーナ・デル・マルがあります。同じ地域にパラドールが二軒あるのは珍しいケースです。 ■降誕劇 この町では1965年から毎年、町民がキリスト誕生にまつわる様々な場面を演じる劇が開かれます。夕方から始るこのお祭りは500名近い役者が参加し、参事会教会でクリスマスソングの合唱や人形劇から始まります。その後降誕劇がはじまり、その中でローマからの勅令、キリストの両親ホセとマリアの出発、馬小屋へ赴く聖女や羊飼いへとお告げを行う天使などのシーンが演じられ、クライマックスには東方三賢者が馬小屋で産まれたキリストを敬う場面が演じられます。 開催:2020年1月5日 17:30~20:00 ■アルタミラ洞窟 この町の郊外にあるアルタミラ洞窟は、おそらく学校の歴史の教科書でまず間違いなく目にする壁画で有名です。特にバイソン(水牛)が描かれたものが有名で、絵の向きや大小が多様で、描かれ方も一通りではないことが特徴です。最初に壁画が描かれたのも、スペインに人類が辿り着いた約3万5000年も前のことだと考えられ、一旦氷河期を挟み約1万1000年前までに現在残されている絵画が描かれたと言われています。こんなに古い絵画が現代まで色鮮やかに残ることができたかについては未だに謎が多く残っていますが、1879年に発見されるまでは何かしらの原因によって洞窟の入口が塞がったことで外気と遮断されたためと考えられています。 洞窟自体は270メートルの奥行きがあり、バイソンのものを含めて数十種類の壁画が確認されていますが、1985年に世界遺産に登録後の観光客数増加のためにオリジナルの壁画が劣化し、現在は非公開になっています。その代わりとして、隣接するアルタミラ博物館に精巧なレプリカが展示されています。洞窟の壁の形状はもちろん、壁画の大きさも色もオリジナルと同じ技法を用いて作られているため、一見の価値がある博物館となっています。 ■インフォメーション■ サンティリャーナ・デル・マルアクセス ビルバオからバスでサンタデールを経由し、サンティリーニャ・デル・マルまで。乗り換え含め所要約3時間弱。 アルタミラ博物館公式HP(英語):https://www.mecd.gob.es/mnaltamira/ Mon, 16 Dec 2019 00:00:00 +0900 スペインワインの本場で http:///blog/item/12764.html http:///blog/item/12764.html  毎年6月29日、ワインの名産地として知られるラ・リオハ自治州のアーロ(Haro)では、この日はお互いに文字通りワインを”浴びる”日として祝われています。 アーロはビルバオから車で40分くらいのところにある小さな田舎町ですが、郊外のエブロ渓谷一帯には、個人経営の小さなものから大きな商業生産を行っているものまでワイナリーがあり、街の周辺にはブドウ畑が広がっています。 ラ・リオハ自治州は世界中で見つけることができる有名なスペインワインの産地で、アーロの郊外にはこの地域のブドウ園の40%があります。 このワインのお祭りの起源は、アーロが隣町のミランダ・デ・エブロとの境界線を公式に決めなければならなかった13世紀に始まります。これは毎年の9月の第1日曜日だけでなく、聖ペテロの日にも行わなければなりませんでした。さもなければ、アーロはミランダ・デ・エブロとの一部になるでしょう。 そして今から3世紀前にお互いの緊張がピークに達し、両町の人々はお互いにワインを投げ始めました。その日からこの伝統が始まり、「ワインの戦争」という名前が付けられました。 そしてこの街を一層ユニークにしているのは過去3世紀に渡って続く『ワイン・バトル』です。 お祭りの日の朝に参加者は紅白のネッカーチーフ(首に巻くスカーフ)を身につけ、サン・フェリセス教会(Ermita de San Felices de Bilbio)に集まります。 教会で聖ペテロの日を祝ってから、お祭りがスタートします。赤ワインが詰まったバケツ、ジョッキ、噴霧器、そして群衆全体に何千リットルものワインを投げたり、吹き付けたり、打ち上げたりするために使えるものはすべて許可されます。参加者たちは、お互いの肌に赤く染まっていない部分が無くなるまでワインを掛け合います。 数時間戦った後、正午頃にはお祭りの舞台がプラザ・デ・ラパスに移ります。そこではご馳走が振る舞われ、お祭りが続きます。夕方には町の闘牛場で闘牛が行われます。搭乗する牛も小さな雌牛なので、雄牛より危険性は低いです。 最近だと約9,000人くらいの地元の人びとと観光客がこのイベントに参加していて、13万リットルの赤ワインが使われたということです。 ■インフォメーション 2020年開催時期:2020年6月29日 公式サイト(英語):http://www.batalladelvino.com/ Fri, 13 Dec 2019 00:00:00 +0900 ポルトガル国旗の由来を知っていますか? http:///blog/item/12762.html http:///blog/item/12762.html ポルトガルの国旗は左側が緑、右側に赤が2:3で配色され、その上に盾や天測儀が描かれたデザインとなっています。 今回はどうしてそのような配色になったのかをご紹介しようと思います。 ◆色 ポルトガル国旗の配色が緑と赤なのには、様々な説がありますが、 例えば緑の場合、希望や誠実を指しているという説や、ポルトガルの初代王朝であったアヴィス王朝の立役者となった騎士団のシンボルカラーだったから、などの説があります。 また赤は、現在に至るまでのポルトガルの歴史の中で、大航海時代に未知なる新天地を求めて大海原を開拓したポルトガル人の犠牲の血だ、とする説や、王政から共和制に変わった時の革命で流れた血だ、とする説があります。 日本の国旗は「日の丸」、イギリスの国旗は「ユニオンジャック」などの愛称が知られていますが、実はポルトガルの国旗にもあります。ポルトガル国旗の愛称は『ベルデ・フブラ』。ポルトガル語で意味は『緑・赤』と、見たままの直訳です。覚えやすくていいですね。 ◆真ん中の図形 (国名の語源となった第二の都市・ポルト) 国旗の色の分かれ目にある金色の物体は、大航海時代の航海の必須アイテム・天測儀。現在ではGPSが代わりに使われていますが、つい半世紀前まではこの天測儀も現役だったというのですから驚きです。「ポルトガル」という国名自体、ポルトのラテン語旧名であるポルトゥス・カレ(カレ港)という海とも切っても切れない縁があることをよく表しています。 (初代国王になったアルフォンソ1世) その上の赤い盾の縁に描かれた7つの城は、レコンキスタの際に国王アフォンソ3世がムーア人から奪い返した7つの城砦を、その内側の5つの青い盾は1139年のオーリッケの戦いをめぐって、劣勢だった初代ポルトガル王アフォンソ1世の軍勢がそれを覆して敵の5人の王を討ち、ポルトガルの初代国王として即位した伝説を、さらにどの青い盾の中心にも刻まれた5つの白い円はキリストの5つの聖痕を表すとされています。 いかがだったでしょうか。 国旗には様々なバリエーションがありますが、ポルトガルの国旗は中でもレコンキスタから大航海時代までの栄光の歴史が良く現れています。 Mon, 09 Dec 2019 00:00:00 +0900 マラケシュ旧市街の観光名所 http:///blog/item/12756.html http:///blog/item/12756.html  マラケシュはモロッコの中心、サハラ砂漠の西に位置するかつての王都です。 ベルベル語で「神の国」を意味するマラケシュは新市街とメディナと呼ばれる旧市街に分けられ、旧市街は11世紀から長い歴史を誇る街で、その歴史から1985年に世界遺産に登録されています。 11世紀にムラービト朝がマラケシュを都とし、モスクや霊廟などが造営されました。次のムワッヒド朝もマラケシュを都として、現在も残るクトゥビーヤ・モスクや旧市街のシンボル的存在のミナレットが建てられました。その後も19世紀のアラウィー朝時代にはバイーヤ宮殿などが建てられました。 マラケシュ旧市街は東西2.5kmと南北7kmほどを登録範囲とする世界遺産で、かつては学問・政治・経済の中心地として繁栄しましたが、今日では観光業が街の一大産業となっています。街の観光名所は北部に集中しており、スークでお土産を選ぶもよし、タジンなど伝統料理を楽しむもよしです。 ◆ジャマ・エル・フナ 旧市街の中心にあり、「死人の集会所」というちょっと物騒な名前の広場は、昔に公開処刑が行われていたことからこの名前がつけられました。 現在ではそんな暗い歴史とは裏腹に、ケバブやクスクス、タジンなどを出す多くの屋台がひしめき合い、蛇使いなど、大道芸人たちがいたるところで各々の芸を披露しています。そんな活気溢れる市場であるため、「ジャマ・エル・フナ広場の文化空間」として無形文化遺産に選ばれています。モロッコの雰囲気を感じるには絶好の場所で、特に夜中には旅行者と地元の人で賑わいます。 ◆市場(スーク) ジャマ・エル・フナ広場の北と東に縦横無尽に広がる広場で、有名な絨毯や革製品、金銀細工、陶磁器はもちろん、お土産向 けな小物から地元の人も足を運ぶ食料品まで揃っています。物色に夢中になっているとすぐ迷子になってしまいます。 商品の値段もまばらで値段交渉もできます。昔から交易都市として栄えたマラケシュの市場の規模は世界最大とも言われているので、訪れた際には是非お気に入りの一品を探してみて下さいね。 ◆クトゥビーヤ・モスク 1147年にムワッヒド朝によって建てられたクトゥビーヤ・モスクはマラケシュ最大のモスクでした。併設された珍しい方形で高さ69mもあるミナレットは西方イスラーム圏のミナレットのなかでは最も美しいものだとされ、四方の壁の装飾が別々なものであることと合わせて旧市街のシンボルになっています。 ◆アグノウ門 マラケシュはムワッヒド朝時代に城郭都市として整備され、旧市街を取り囲むように19の門があります。なかでもアグノウ門は巨大で、馬蹄型のアーチと赤い砂岩が特徴的。コーランの一節が掘りこまれており、19ある中で最も美しい門だとされています。 ◆バイア宮殿 広場から歩いて10分ほどのところにある、白い壁とタイル張りの床や天井が美しい宮殿です。19世紀後半のスルタン・ハサン1世の宰相が4人の正室と24人の側室と共に住んでいたと呼ばれる宮殿です。中央に王の宮殿があり、中庭を囲むように女性たちの部屋が置されています。7年の歳月を掛けて完成した宮殿のところどころに施された装飾は必見です ◆ベン・ユーセフ・マドラサ 12世紀に建設されましたが倒壊し、16世紀のサアド朝時代に再建されたイスラム神学校(マドラサ)です。アラベスク、カリグラフィー、ムカルナスをはじめアラブ=アンダルシア地方のイスラム芸術の最高峰を堪能できます。 ◆サアド朝墳墓群 16世紀のサアド朝のスルタンと貴族ら約60人が埋葬された霊廟です。その後アラウィー朝の時代に壁で囲まれたため、その後の混乱の中で忘れ去られましたが、20世紀に入って空撮によって発見されました。墳墓内の鮮やかな象嵌装飾・彩色タイル・モザイクで彩られた内装は必見です。 Fri, 06 Dec 2019 00:00:00 +0900 王妃が愛した村 http:///blog/item/12755.html http:///blog/item/12755.html 「谷間の真珠」や「中世の箱庭」の別名を持ち、その美しさから歴代の女王の直轄地として保護され、現在までその美しさを残しているのがオビドスです。 首都リスボンから日帰りで観光もできるこの村の魅力を今回のブログでお伝えします。 現在人口800人程度の村の歴史は意外と古く、紀元前300年ごろにまで遡ることができます。ローマ時代に海から外敵の侵入を妨げるために造られたのが起源で、その後支配者がイスラーム教徒やムーア人からポルトガルへと移り変わりました。 1288年に当時のポルトガル王デニス1世と王妃イザベルが新婚旅行でこの村を訪れた際、王妃が大変気に入ったことから王がこの村を王妃にプレゼントしたことがきっかけで、それ以降大切に守られてきました。   ポルトガルの王室がなくなった現在でも、中世の雰囲気がよく保存された絵画のような村として年中観光客で賑わっています。あまり大きな村ではありませんが入り組んだ路地を探検してみましょう! また、オビドスには一年に3つの大きなお祭りが開かれます。3月には春の訪れを感じさせるチョコレート祭り、7月には中世のお祭り、12月には町がクリスマスタウンに変貌します。こうした時期に合わせて現地を訪れてお祭りの雰囲気を味わってみるのもいいかもしれませんね! ◆ポルタ・ダ・ヴィラ バスでオビドスに到着したら、まずはポルタ・ダ・ヴィラという大きな城門をくぐります。この城門自体は14世紀にイスラーム教徒が造り、ジグザグ構造によって敵の侵入を妨害するようになっています。アーチの上部には18世紀に作られた聖書の一場面を描いたアズレージョが観光客を出迎えます。 ◆城壁 オビドスを囲む城壁へは、ポルタ・ダ・ヴィラやポサーダ脇など5か所にある階段から上ることができます。全長で1.5キロあり、全体を周っても40分あれば見終わります。城壁自体一番高いところは13メートルあり、外側には石壁がありますが、内側は手すりもないので上って歩く際には、お気をつけて。 ◆ディレイタ通り 門から城壁内に入ると道が二本に分かれていて、左側がメインストリートとなるディレイタ通りです。一番奥のオビドス城まで両側に白壁の家が立ち並ぶ石畳の道が続きます。止まらずに歩けば10分程度で歩き切ってしまえるような道ですが、雑貨や陶器を取り扱うお土産屋さんがあちこちにあるので、ゆっくりとお気に入りのものを探してみるのもいいかもしれません。 そしてオビドスのお土産として欠かせないのが、さくらんぼを漬け込んだ果実酒:ジンジャ(Ginjas)。アルコール度数はワインよりちょっと高めの18~20%で、瓶も種類が豊富なお土産用なので持ち帰るのも簡単です。ジンジャ以外にも可愛い陶器類や雑貨が人気です。 ◆サンタ・マリア教会 ディレイタ通りを歩いてサンタ・マリア広場に到着すると、正面にシンプルな白い教会が目に入ります。これがサンタ・マリア教会です。ロマネスク様式の教会の内部は素朴な外装とは一転して祭壇を取り囲むようにアズレージョで覆われています。その上に主に聖母マリアをテーマとした絵画や天井の素晴らしいフレスコ画、祭壇のイコン画など荘厳な内装です。 この協会は1444年に当時まだ10歳だったポルトガル国王アフォンソ5世がいとこで8歳のイザベラが結婚式をあげた教会でもあります。 なおサンタ・マリア広場の中心にあるペロウリーニョという石の柱はかつて罪人を晒した柱でした。棒の真ん中にあるくぼみは吊り下げた跡だそうです。 ◆オビドス城 ディレイタ通りを突き当りまで進むと、オビドス城に到着です。この15世紀の古城は現在、歴史的な建造物を改装したポルトガル国営のホテル『ポサーダ・カステロ・デ・オビドス』として非常に人気のホテルへと生まれ変わっています。あまり広々としたホテルではありませんが、シックな内装やアンティークが格調高い空間を演出しています。また、宿泊はしなくても同じく人気のあるレストランで雰囲気を味わうことができます。 このホテルに宿泊すると、ホテルの宿泊者限定の城壁に上る道を利用できます。あまり部屋数がないのがネックですが、王妃が愛した村を特別な場所から眺めたい方は是非ご検討ください。 ◆アクセス リスボンからバスで約1時間なので、リスボンから日帰り、リスボンからポルト、コインブラに移動する途中に立ち寄ることも可能です。 Mon, 02 Dec 2019 00:00:00 +0900 マドリードから日帰り観光! http:///blog/item/12746.html http:///blog/item/12746.html スペインの首都マドリードからほど近いセゴビア(Segovia)は、日帰りでも行ける観光地として人気があります。 1985年に世界遺産に登録されたこの街はローマの時代から開発が進み、旧市街の中心部にはローマ水道橋が鎮座しています。それ以外にも『大聖堂の貴婦人』の異名をとるカテドラルやディズニーの『白雪姫』のモデルとなったアルカサルの3つは必見です。観光名所の集まる旧市街は端から端までゆっくり歩いても小一時間かからない程度なので、ゆったり観光したいという方やあまり時間がないけど日帰り観光したいという方におススメです。 旧市街のアソゲホ広場にはツーリストインフォメーションがあり、日本語のセゴビア観光マップを手に入れてから観光を始めましょう。 ◆ローマ水道橋(アケダクト) 旧市街を訪れたらまず目に飛び込んでくるのが、アソゲホ広場のローマ水道橋(Acueducto Romano)。 全長813メートル、全高最大28.5メートルもある巨大な水道橋は、2000年以上も前の紀元一世紀ごろに古代ローマ人によって建てられました。市街地から18キロ離れた川から少しずつ橋に傾斜を付けて水を引いており、19世紀まで大きな修繕も行わられずに使われていたそうです。水道橋の横幅はたった2.4mで、驚くべきことに橋を支える128箇所のアーチ部分には石と石をつなげる接合材などは一切使っておらず、互いの組み合わせだけで支えあっているということです。造られてから2000年経った今でも大きく損なわれることなく残っている水道橋の姿は圧巻です。 水道橋とインフォメーションの間にある階段を上っていくと絶好の撮影スポットである展望台に続きます。橋の上にはマリア像、下には十字架が飾ってあり、街全体と水道橋が調和している様子が見て取れます。 ◆カテドラル 水道橋からお土産屋が立ち並ぶセルバンテス通りとファン・ブラボ通りを抜けると、サン・マルティン教会とその前のマヨール広場に出ます。 マヨール広場の周りにはレストランや土産物店が軒を連ね、曜日によっては屋外マーケットで生鮮品や書籍、服などが売られています。広場には16世紀のコムネロスの乱の際の英雄、ファン・ブラボの像も建っています。 そして広場の奥の堂々とした建物はセゴビア大聖堂(カテドラル,Catedral de Segovia)です。そのスカートの裾を広げた貴婦人のような建築から別名『大聖堂の貴婦人』とも。 コムネロスの反乱により、もともとあった大聖堂の大部分が破壊されたため、時の皇帝が新たに造らせたのが現在の大聖堂です。16世紀初頭の着工から完成まで約250年もの歳月を費やして造られた大聖堂であり、完成時には時代が変わっていたことでスペイン最後のゴシック建築とも呼ばれています。 内装もととても豪華で、戦禍を免れた聖歌隊席やステンドグラスなどが旧大聖堂から移築され、それ以外にも立派な彫刻やパイプオルガンも見逃せません。長い時間を掛けて完成したことで、絵や彫刻などのタッチが違うことにも是非注目してみて下さい。 ◆アルカサル ディズニーが世界で最初に制作した長編アニメーション「白雪姫」に登場するお城のモデルになったアルカサル(Alcázar de Segovia)は11世紀に建てられ、900年の歴史を持ちます。 スペイン語でお城や宮殿といった意味を持つアルカサルは最初イスラーム教徒が築いた城塞をベースに、12世紀にレコンキスタを成し遂げたカスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって改築が行われました。ですが、16世紀中頃にフェリペ2世が王族の生活の場をマドリードに移したことで、城砦や牢獄を経て18世紀には王立砲兵学校が設けられますが、1862年の火災で大部分が焼失してしまいました。その後大規模な修復が行われ、現在のような威容を取り戻しました。 アルカサルは敵の攻撃を防ぐような設計のため、出入りには東側の跳ね橋を通って行くしかありません。それ以外の三方を高さおよそ100メートル程度の断崖に囲まれていることから、お城としてかなり堅固な守りを誇っていたようです。 有名なのはお城の外装だけではありません。内装も絢爛豪華そのもので、お城がスペインという国と一緒に歴史を刻んできたことがよく分かります。 特に「ガレー船の間」は格別で、天井のガレー船をさかさまにひっくり返したような豪華な装飾は見るものを圧倒します。アラゴン王フェルナンド2世とともに”カトリック両王”の称号を授けられ、現在のスペインの礎を築いたカスティーリャ女王イザベル1世が、戴冠式の際にこのセゴビアのアルカサルから出発し、マヨール広場で戴冠式に臨みました。この部屋の壁画には戴冠式の様子がリアルなタッチで描かれています。 それ以外にも、歴代の王たちの彫像とその功績が掘られた石板が埋め込まれた「諸王の間」や2つの玉座が鎮座し、カトリック両王の紋章が描かれた「玉座の間」、エンリケ4世のものを模した金刺しゅう入りの天蓋に覆われた豪華な「王の寝室」など場内には13の間があります。 アルカサルは中世から近代にかけてスペインの栄枯盛衰を見守ってきたお城でもあり、収蔵されている品々や建築も大変貴重なものなのでセゴビアに訪れた際には必ず訪れてみて下さい。 ◆アクセス マドリードから:電車・バスともに30分~1時間程度。 Fri, 29 Nov 2019 00:00:00 +0900 ポルトガルの代名詞:ポートワインを飲んでみよう http:///blog/item/12743.html http:///blog/item/12743.html ポルトガルにはユネスコが認定する世界遺産が17もあります。今回のブログではそんな中でも2001年に登録された『アルト・ドウロ・ワイン生産地域』とそこで作られているポートワインについてご紹介します。 このアルト・ドウロ・ワイン生産地域では、自然の地形を上手く使ったブドウの段々畑で有名です。 スペインから続くドウロ川の上流に位置し、大西洋の港・ポルトまで流れています。そしてこの地域は数世紀に渡ってポルトガルの代名詞とも言えるポートワインの生産地になっているのです。 ポートワインはドウロ川の上流・下流の分業によって作られています。1756年にポルトガルは世界に先駆けて原産地呼称管理制度を導入し、ドウロ川の上流のアルト・ドウロで栽培されたブドウのみを使い、ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアとポルトで加工から熟成まですべて行われたワインのみをポートワインであるとしました。 ◆ポートワインの特徴 ポートワインの特徴は何といってもラガールと呼ばれる樽で発酵させている最中に、77%のブランデーを追加する工程にあります。こうすることでワインにしては度数の強い20%程度となり、酵母が死滅し、分解されずに残った糖分のおかげで貴腐ワインにも負けない甘味が残るのです。また、瓶詰された時に”20年”というラベルが貼られたら、それは10年と30年熟成を半々で入れて平均20年寝かせた、という意味です。こういったところでもブレンドは大事になってきます。 ◆ポートワインと日本 大航海時代が到来すると、ポートワインの需要が一気に高まりました。というのも船に積んでいた普通のワインは、アフリカやインドを超えてアジアを目指していた船の中では数か月ともたなかったから。ですが発酵の途中でブランデーが加わったポートワインは長くもち、フランシスコ・ザビエルが織田信長と面会した際に、このポートワインが入った樽を献上していたそうです。その後明治維新が起き、海外のワインを日本に広めようとした壽屋(現サントリー)が売り出したのは”赤玉ポートワイン(現:赤玉スイートワイン)”でした。 ◆分類 ポートワインは大きく3つに分けることができます。 ・ルビー・ポート:樽で3年ほど熟成される、主に黒ブドウを使用。   ・トゥニー・ポート:上のルビー・ポートを樽で10年以上熟成させたもの。   名前の由来は酸化で黄褐色(トゥニー)になることから。 ・ホワイト・ポート:樽で4年ほど熟成される、白ブドウのみを用いたもの。   この3つから更に細かく分かれますが、特に作付けが良い年にはドウロポートワイン協会(IVDP)という団体から承認されて、その年の特に優れたブドウだけを用いた複雑な香りと甘さを持ったヴィンテージ・ポートが作られます。 長いものになると半世紀も熟成されているものもあるそうなので、現地を訪れた際には是非このヴィンテージ・ポートにもトライしてみたいものです。 ◆キンタに行ってみよう ポルトガル語で農園はキンタ(Quinta)。ドウロ渓谷にあるブドウ農園は段々畑になっているため機械が入りづらいため、人がひと房ずつ摘み、人の素足で葡萄を踏みつぶして圧搾しています。収穫時期であれば観光客も参加でき、ワイナリー:キンタ・ダ・パチェカでは大きな石の容器の中に沢山の人が入って、歌いながら圧搾をするそうです。 こうしたワイン作りが体験できたり、キンタに併設された民宿に泊まれたりできる施設も登場しています。古い歴史を誇るキンタに泊まってみれば、ワインのエキスパートたちが食前の白ポートから食後の赤ポートまで、食事に合ったワイン選びをしてくれますよ! 泊まる時間はないけど、少しでも空気を味わいたいという方には、 ポルトから電車でレグアまで行き、ドウロ川クルーズに酸化して見るのもおススメです。船上で食事やワインを楽しんだり、途中ワイナリーに立ち寄ってテイスティングをし、お土産用のワインを吟味してみましょう。 また、夏の期間限定でレグアからトゥアまで観光列車を走らせています。この路線は元々収穫したブドウをポルトまで運んでいた路線で、車内ではワインはもちろん音楽隊の演奏などでも盛り上がりますよ! ポルトを訪れた際には是非、本場の味を試してみて下さいね! Mon, 25 Nov 2019 00:00:00 +0900 スペインの三大祭り http:///blog/item/12740.html http:///blog/item/12740.html  情熱の国、スペイン。今年の世界の旅行・観光競争力ランキングで堂々の一位にも選ばれました!   選ばれた理由のうちのひとつは間違いなく、一年を通して度肝を抜かれるような奇祭が山ほど開かれているからでしょう。有名なところでいうと、火祭り(3月)、牛追い祭り(7月)、トマト祭り(8月)、メルセ祭り(9月)など、日本のテレビ番組などでもよく紹介されるものばかりです。 今回はそんなお祭りの中でもスペインを代表するスペイン三大祭りをご紹介していきます! ・バレンシアの火祭り バレンシアの火祭り(ファジャス)は毎年3月15日から19日まで5日間かけて行われるお祭りです。最終日の3月19日はバレンシアの守護聖人であり、大工の守護聖人でもある聖ヨセフ(サン・ホセ)の日で、この日を祝うためにお祭りは開催されます。 もともとはこの地方の大工職人が3月に古い材木やおが屑をまとめて焚火する習慣と同じ時期だったサン・ホセの祝日が近かったことが由来だと言われています。 現在の火祭りは一年をかけてファヤと呼ばれる巨大な張り子の人形を作り上げ、お祭りの期間中には大小併せて数百の人形が展示されることになります。そしてサン・ホセの祝日でもある最終日に、すべてに火を点けて燃やしてしまうのです。 ちょっと勿体無いような気もしますが、人形が一気に燃えていく様は圧巻の一言。ですが燃やす前の人気投票で一位を獲得した人形は燃やされずに、市内の火祭り博物館に展示されます。もしお祭りの時期に旅行にいけなくとも博物館で雰囲気だけでも感じることはできそうです。お祭り自体も人形や炎だけではありません、期間中に開催されるイルミネーションや爆竹や闘牛、献花のためのパレードなど盛りだくさんです。  ・セビリアの春祭り スペイン語で「フェリア・デ・アブリル(4月の市)」と呼ばれるセビリアの春祭り。近世に行われた畜産見本市が起源ですが、現在では暖かい春の訪れを喜ぶお祭りへと変身しています。男性は伝統的な正装で、女性も華やかな民族衣装で着飾ります。そんな恰好の人々が馬や馬車に乗ってパレードをするのですから、映えない訳がありません。 会場となる広場には”カセタ”と呼ばれるテントが数百も立ち並び、その中では飲めや踊れやの大騒ぎになります。残念ながらカセタは招待でしか中に入れませんが、昼間などは外から見られる物もあるので是非スペインらしいお祭りを堪能して下さい! ・パンプローナの牛追い祭り 日本のメディアでも頻繁に報道されることがあるスペインの牛追い(エンシエロ)で最も有名なものが、パンプローナの牛追い祭り(サン・フェルミン祭)です。 パンプローナの守護聖人であるサン・フェルミンの日(7月7日)を祝う宗教的なお祭りから始まったもので、当初は食事や音楽、踊りを楽しむごく小さなものでした。それと同時期に行われた牛の見本市とが合体して、いつしかエンシエロが行われるようになったと言われています。もともとは牛を闘牛場まで追い込んでいたのですが、牛に触れると勇敢だという風潮などもあり人々が前を走り、後を牛が追いかけるという今日の形に変わっていきました。 闘牛場までの距離は800mほどでエンシエロ全体の時間としても5分あるかないかぐらいですが、この数分の熱狂は凄まじいです。このために、人口20万人の街に世界中から100万人もの観光客が押し寄せます。 6日から14日まで毎日、午前8時から牛追いははじまります。18歳以上であれば誰でも飛び入りで参加することができます。起源が牛の見本市ということもあり、エンシエロ以外にも闘牛や牛分け、仔牛の解放など牛に関するイベントが期間中多く開かれます。 【2020年開催時期】 ・バレンシアの火祭り 3月15日(日)から3月19日(木)まで ・セビリアの春祭り 4月26日(日)から5月2日(土)まで ・パンプローナの牛追い祭り 7月6日(月)から7月14日(火)まで Fri, 22 Nov 2019 00:00:00 +0900 ”ポルトガルのヴェニス”でゴンドラに乗ろう! http:///blog/item/12737.html http:///blog/item/12737.html 今回ご紹介するアヴェイロ(Aveiro)はリアス式海岸の内側にあり、漁業で発展した街です。 ポルトガル独自のアズレージョ(Azulejo)の青とアールヌーボー様式の明るい色使いの建物とが相まって、さらに街中には運河が流れていることが、この街の魅力を底上げしています。 リスボンやポルトから直通の電車が出ている鉄道駅を出て、旧市街方面に降りると、現在使われている駅舎の横にアズレージョが美しい建物があることに気づきます。これがアヴェイロ旧駅舎です。 旧駅舎のアズレージョにはアヴェイロの風景も! 『~のヴェニス』というのはイタリアのヴェネツィアのように市街の中に運河が通っているような街並みのことを言いますが、ここアヴェイロも『ポルトガルのヴェニス』と呼ばれるほどに美しい運河があるんです。 確かに距離でこそ本場には勝てませんが、旧市街の運河をモリセイロ(Moliceiro)と呼ばれる小舟に乗って巡ることは、アヴェイロに行ったらやってみたいことですよね。 もともとこのモリセイロは、近世まで周りの土地を耕すために、肥料となる海藻を運んでいたそうです。 その役割を終えた今では、アヴェイロのシンボルとして観光用に使われています。 運河を巡る45分のツアーでは運河沿いの街並みはもちろん、アヴェイロで盛んな塩産業なども船頭さんが紹介してくれるので、これに参加するだけでも観光を満喫できますよ!ツアーの出発は運河沿いにいくつかあり、値段も統一されているため自分に都合の良いタイミングで参加してみては? ◆アール・ヌーボー博物館 アールヌーボー様式の建物は旧市街のそこらかしこに散らばっていますが、内側も見てみたいという場合にはアールヌーボー美術館がおすすめです。外装もさることながら、内側の大胆な曲線づかいは見るものを魅了します。内側を堪能したら美術館でもらえる旧市街のアールヌーボー建築を網羅したマップをもらってもう一度市内を巡ってみましょう。 ◆ポルトガルの郷土菓子 この街に来たら忘れてはいけないのがオヴォシュ・モーレシュ(Ovos Moles)というお菓子。 「柔らかい卵」という意味で、海沿いの街らしく魚や貝などの海産物がモチーフとなっているそう。 白い皮の中に卵の黄身がぎっしり詰まっています。ポルトガルの食べ物らしく素朴ですが濃厚でおいしいです! 海沿いではあるのですが、アヴェイロにはビーチがありません。ですがバスで片道30分くらいのところにあるコスタ・ノヴァをはじめ、周辺にはビーチがたくさん。夏場にビーチで楽しんで、アヴェイロでゆっくり観光する、なんてプランもありですね。コスタ・ノヴァではウインドサーフィンやカイトサーフィンにも挑戦できますよ! ◆アクセス アヴェイロへはポルトガルの2大都市から直通で電車とバスが運行されています。旅程次第では日帰りも可能になっています。 ・カンパニャン駅(ポルト)〜アヴェイロ駅:直通普通列車。所要約1時間。 ・サンタ・アポローニャ駅(リスボン)〜アヴェイロ駅:直通特急列車。所要約2時間半。   Mon, 18 Nov 2019 00:00:00 +0900 今年もスペインフェスティバルが開催されます! http:///blog/item/12761.html http:///blog/item/12761.html 日本スペイン交流400周年にあたる2013年に初開催し、昨年は過去最大の約13万人を動員した日本最大級のスペインフェスティバル。 2019年は11月23日(土)・24日(日)に東京・代々木公園で開催いたします。 7年目となる2019年のテーマは「Vamos!Espana(バモス!エスパーニャ!)」。 「食」「飲」・「文化」・「舞踊」・「音楽」など、スペインの魅力満載の2日間をお届けいたします。 ★会場アトラクション紹介 ● スタンプラリー参加(無料)でスペイン往復航空券など豪華商品ゲットのチャンス! ● 今年のステージは、多彩なフラメンコが目白押し! ● 直径2m!大きな鍋で調理されるパエリアを「見て」「食べて」楽しもう! ● 約40ブースが出店。本格的なスペイン料理にワインや本場のビール、雑貨などスペイン感満載 ★ 「スペインフェス公式アプリ」登場!MAPやスケジュール・ブースを確認しよう! 【今回のフィエスタデエスパーニャのステージは、多彩なフラメンコが目白押し!】 毎年恒例のベネンシアドールでは優雅なシェリー酒のパフォーマンスとフラメンコがステージを所狭しと華やかに彩ります!また、全国学生フラメンコ連盟の参加も決定し、若く熱い踊りを披露。なんと本場スペイン人アーティストによる豪華フラメンコステージも!フィールドコンテンツとしても、迫力あるフラメンコで会場を盛り上げスペインの熱気を皆さんに届けてくれます。キッズフラメンコありと今年度は多様なフラメンコで充実したステージになること間違いなし。フィナーレでは、観客席を巻き込んでのセビジャーナスで締めくくります。見て踊って盛り上がれるコンテンツばかりなので、ぜひご期待ください!   【直径なんと2m!大好評の大鍋パエリアを実施。2種類のパエリアを食べ比べよう!】 特大パエリアパンで調理する大鍋パエリアを実施します。直径2mの大きな鍋でパエリアを炊き上げる様子は、見た目にも華やかで豪快!2種類のパエリアが登場するので、友人との食べ比べも◎ 【日時】 11月23日(土)11:00〜13:00、15:00〜17:00      11月24日(日)11:00〜13:00、15:00〜17:00 【種類】 魚介のパエリア / 鳥と野菜のパエリア   【様々なスペインの料理やお酒が勢ぞろい!】 会場内にはスペイン料理店が大集結。スペイン定番のパエリアをはじめ、熱々のアヒージョや焼き立てのソーセージ、ピンチョ・モルーノと呼ばれる数種のスパイスに漬け込んで焼かれた串焼きなど、本場スペインの味を楽しめます!スペイン産のビールやカバ(スパークリングワイン)はフードに合うこと間違いなし。他にも雑貨やコンテンツを楽しめるブース出店も! 【「スペインフェス公式アプリ」が登場!】 フィエスタ・デ・エスパーニャの「スペインフェス公式アプリ」が登場!会場マップやステージタイムスケジュール、豪華商品多数のスタンプラリー、出店ブースの一覧などを事前にアプリでチェックして、イベント当日は、見逃しのないよう楽しんでください!詳細は、追って公式サイト・公式Facebookで公開! ※展開内容は、予告なく変更になる可能性があります。最新情報は公式ホームページでご確認ください。 フィエスタ・デ・エスパーニャ2019 概要 ■名称    :スペインフェスティバル『フィエスタ・デ・エスパーニャ2019』 ■日程    :2019年11月23日(土)10:00~20:00、11月24日(日)10:00~19:00 ■会場    :代々木公園イベント広場 (入場無料/雨天決行・荒天中止) ■出店対象  :営業許可を持つスペイン料理店、およびスペインに関する商品を取り扱う店舗・企業、スペインに関連する事業を行っている団体・企業、NGO・NPOなど。 ■出店ブース数:約40ブース (飲食:約30ブース(※ケータリングカー含む)、物販・展示:約10ブース)その他、実行委員会企画ブース等 ■来場者数(予想):約12万人 ■主催    :フィエスタ・デ・エスパーニャ実行委員会 ■後援      :スペイン政府観光局、外務省、東京都、セルバンテス文化センター、LaLiga、日本フラメンコ協会、日本パエリア協会、全国学生フラメンコ連盟 Fri, 15 Nov 2019 00:00:00 +0900 ”ポルトガル”が産まれた地 http:///blog/item/12693.html http:///blog/item/12693.html ポルトガル北西部にあるギマランイス(Guimarães)は、第二の都市ポルトから列車で1時間程のところにあります。この地はポルトガル初代国王のアフォンソ1世が生まれた地として知られ、旧市街の広場の壁には「AQUI NASCEU PORTUGAL(ポルトガルここに誕生す)」と大きく書かれています。 ギマランイスはアフォンソ1世が生まれた12世紀初頭から現存している著名な建造物が建てられ、ポルトガルの中でも重要な都市となっていきました。現在旧市街に残るそれら歴史的価値の高い建築は”ギマランイスの歴史地区”としてユネスコ世界遺産として登録されています。 現在のギマランイスは工業で成り立つ街と変貌しており、中世から残る文化財と現代の建物とが混ざりあって風情ある街並みを作り出しています。 今回はそんな情緒漂うギマランイスについてです! ◆旧市街の世界遺産◆ ギマランイス歴史地区で登録されている中でも有名なものをご紹介します。 ・ギマランイス城 1109年、後にポルトガルの初代国王となるアフォンソ1世はこのギマランイス城で生まれました。彼はそれまでこの地を支配していた勢力を追い出し、イスラーム勢力を打ち負かしたことでポルトガル王を自称します。その後もリスボンを支配していたイスラーム教徒を打ち負かしてどんどんポルトガルの版図を広めていきました。こうして彼が初代となったブルゴーニュ王朝は14世紀末まで続きました。 そんな彼をが産まれた、石造りで頑丈そうな城は、元々修道院だった場所にムーア人やヴァイキングの攻撃から街を守るために建てられました。ロマネスク様式の城壁と高さ28mの中央の塔を含む7つの塔が現存していて、塔からは街全体を見渡すことができます。現在でも城の麓にあるサン・ミゲル教会は、アフォンソ1世が洗礼を受けた場所でもあります。 ・ブラガンサ公爵館 中心部にあるブラガンサ公爵館は、ポルトガルが栄華を極めていた大航海時代の君主・ジョアン1世の息子ドン・アフォンソが建てた館です。フランスの影響を強く受けたゴシック様式で、現在では政府公館と貴族の歴史を展示した博物館として使われています。館の天井から突き出している30本以上の煙突が印象的で、重厚な石造りの建物と中庭を囲む美しい回廊、豪奢な家具やタペストリーなど繁栄を極めていたポルトガルを垣間見れます。 ・ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会 この教会は12世紀に建てられましたが、何度か拡張工事が行われたためロマネスク様式とゴシック様式が混じった建築となっています。内部は12世紀当初のものですが、外装は14、15世紀に拡張されています。教会はポルトガル語で「オリーブの木の聖母教会」という意味で、レコンキスタの戦勝記念として1342年に教会前にアーチが作られ、完成したと同時にオリーブの芽が芽吹いたことが由来だということです。 ・アルベルト・サンパイオ美術館 ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会の修道院部分を改装したものが、アルベルト・サンパイオ美術館です。装飾が施された14世紀の美しい回廊の周りに展示室となっています。収蔵されているのはギマラインスの教会や修道院が保有していた絵画をはじめ、彫刻や陶磁器類、典礼品などまざま。中でもジョアン1世が戦いでまとっていた外衣は必見です。 ・ポサーダ・デ・サンタ・マリーニャ サンタ・マリーニャ・ダ・コスタを利用したポサーダです。ポサーダとは、修道院や城、貴族の館を改装したホテルチェーンで、歴史的な建築物に泊まるという貴重な体験ができます。隣国スペインにも同様の国営ホテル・パラドールがあります。 ギマランイスは城を中心に街が形成されている言わば城下町。旧市街中心部はコンパクトですが見どころ沢山です。市街に繰り出してみるとポルトガル名物のアズレージョにいたるところで遭遇することでしょう。 もしポルトガルの歴史に興味があるならば、初代国王の生まれた地としてギマランイスは訪れるべき場所でしょう! ■アクセス■ ポルトのサン・ベント駅から電車で約1時間。ポルトからギマランイスに向かう電車は1時間に1本程の頻度です。 Mon, 11 Nov 2019 00:00:00 +0900 バルセロナを訪れた方必見のガウディ建築 http:///blog/item/12713.html http:///blog/item/12713.html  スペイン・バルセロナの観光でマストなのは市内のガウディ建築を巡ることでしょう。サグラダ・ファミリアをはじめ、20世紀の天才が残したユニークな建築の数々はバルセロナ観光には欠かせません。その中でもサグラダ・ファミリア、カサ・ミラ、そしてカサ・バトリョは特に人気が高いです。 2005年にはそろって世界遺産にも登録されたガウディ建築の中でも、今回はカサ・バトリョについてご紹介します。 カサ・バトリョはその名の通り、バトリョさんの”Casa(家)”、つまりバトリョ邸という意味で、19世紀のバルセロナの大商人バトリョ氏の依頼で20世紀初めにガウディが「海」をテーマに全面改築を請け負ったモダンな邸宅です。 モデルニスモ様式を取り入れたデザイナーズハウスで、各パーツにはガウディが得意な曲線や”ガウディ・ブルー”と呼ばれる青や白のステンドグラスが用いられています。 バルセロナのメインストリートに面したこの建物は、当初は5階建てでしたが地下1階から地上5階、屋根裏が後に増築され、富豪が住むステータスシンボルとして「目立つ家」を目指して造られました。完成当初から「骨の家」や「あくびの家」などあだ名がつけられましたが、長い間非公開。ようやく観光客に解放されたのが2002年のガウディ生誕150周年の時のことでした。 ◆建築のテーマは?◆ この家を建てる時のテーマについて、現在3つの説があります。 1つ目の説: バルセロナがあるカタルーニャ地方の聖人:サン・ジョルジオのドラゴン退治伝説にちなんだ「ドラゴン」を表しているという説。確かにドラゴンの鱗のような屋根、別名「骨の家」とも呼ばれる所以、骨のようなバルコニーや柱はドラゴンの犠牲になった人々の骨を表現したのではないかと考えられています。 2つ目の説: 屋根はイタリアの喜劇に出てくるキャラクター:アルルカンの帽子、バルコニーは仮面、トランカデイスのタイルモザイクは祭りの紙吹雪に見立て、謝肉祭を表しているのではないかという説。 3つ目の説: 色とりどりな装飾によって海底洞窟をイメージしているという説。現に自然光を屋内に取り込むように造られていて、晴れた日には明るい日差しが差し込むことでタイルがキラキラと輝きます。外壁のブルーカラーも海をイメージしたと言われており、波打つ窓枠や泡のようなステンドグラスは大変美しいです。 ◆家の中に入ってみると◆ カサ・バトリョのエントランスへ足を踏み入れると別名「光庭」とも呼ばれる中庭が目に入ります。 4つの壁面にはガウディ・ブルーの海底をイメージした市松模様のタイルが貼られています。特筆すべきは全体が同じ色に見えるよう、上階は光を吸収する濃い色、光を反射する白っぽい色のタイルを貼り、5段階で色調変化させています。窓も工夫があり、光の強い上の階は小さく、逆に下に行くに従って大きくなっていき光を取り込む工夫がなされています。まさに海というテーマが再現されています。 玄関ホールからは曲がりくねった階段を登っていきます。ガウディがデザインしたエレベーターもあるので、行きはエレベーター、帰りは階段のように使ってみるのも。階段手すりに施された繊細な装飾は必見。 玄関に比べれば控えめな装飾ですが、建物裏のよく調整されて作られたモザイクのあるテラスも見所の一つ。   屋上の破砕タイルの装飾は、ガウディの代表作でもあるグエル公園の波打つベンチを豊富打つとさせます。玄関に面するラシア通りから見えるタイルは大きく、ドラゴンの背中のようです。一方で反対側のタイルは小さくオレンジ色に変化し、トカゲの背中のような造形になります。 しかもこの建物、世界遺産なのですがまだ人が住んでいます。そのエリアは見学ができないので、観光客は入口と中庭、最上階と屋根裏、屋上のみ立ち入りが可能です。 また、通年午前1時までライトアップされているので昼は内部を鑑賞し、夜にまた立ち寄って外からライトアップを観るというのもオススメ。 ◆インフォメーション◆  【住所】Passeig de Gracias 43 【公式HP(英語)】https://www.casabatllo.es/en/ 【チケット】一般25€、学生22€(学生証必携)、65歳以上22€、乳幼児無料  ※現地で購入すると4€高くなります。  【アクセス】Passeig de Gracia駅から徒歩2分  【開館時間】9時~21時(20時最終入場)  ※イベント等によって営業日や開館時間が変更される場合があります。事前に公式HPをご確認ください。 Fri, 08 Nov 2019 00:00:00 +0900 ポルトガルを青く彩るアズレージョ http:///blog/item/12700.html http:///blog/item/12700.html  ポルトガルのタイルアート・アズレージョ (Azulejos)。ポルトガルを一度訪れた方ならその美しさを忘れないはず。都市部の豪奢な教会を彩る壮大なものから、田舎の小さな民家の壁を飾る素朴なものまで、とにかく国の至るところで見ることができます。 アズレージョとはポルトガル語で”タイル”という意味ですが、ポルトガルの人々は昔からアズレージョに自分たちの歴史や文化、習慣などを描き、現代まで伝えているのです。 リスボンのシアード地区にあるアンティークなお土産屋さんには美しいアズレージョがたくさん並んでいます。タイル一枚だいたい10ユーロくらいから購入ができるため、アズレージョ柄のタオルやコップ、アクセサリーなど手軽なポルトガル土産の定番としても大人気なんです。 ということで、今回はポルトガルを彩るアズレージョの歴史をちょっとだけご紹介したいと思います。 元来アズレージョはペルシアなどイスラーム圏で生まれ、14世紀ごろにそれをスペインに赤と黄色を基調とした”アスレホ”として持ち込んだと考えられています。14世紀の当時はスペインとポルトガルがあるイベリア半島ではレコンキスタ(イスラム教徒に対するキリスト教徒の復権運動)の真っ最中であり、終結後の1503年に当時の君主だったマヌエル1世がスペインから帰国後にスペインのセビーリャからアスレホを大量に輸入しています。 15世紀後半から16世紀初頭までは建物の壁を覆うという用途で使われることが多く、特徴としては一枚のタイルの中で作品が完成しているという点。これが後にたくさんのタイルを一枚一枚別々に造り、一つの作品を完成させるスタイルに変化をしていきます。 青・黄・緑など比較的多くの色が使われているのが16~17世紀のアズレージョの特徴。王宮はもちろん教会や修道院などの壁にどんどん使われるようになったため宗教的なモチーフが多く見られます。そしてこの時期は、ポルトガルの探検家たちが世界を席巻していた大航海時代。アジアへの航路発見によってポルトガルに入ってきた、中国・日本などヨーロッパにとって新しい東洋文明は、「シノワズリ」と呼ばれる東洋風芸術文化を生み出しました。特に芸術面でこの影響は大きく、この時代のアズレージョには中国や日本の磁器に描かれている植物などの描き方や青を基調とした絵柄など顕著に影響が見られます。 17~18世紀はじめまでのアズレージョには、それまで東洋の画法を真似たモチーフを描くことに限られていたものが、色使いにまで現れ始めたこの時代。アズレージョが一般市民の間にも広がって、宗教画以外の日々の暮らしをモチーフにしたものが増えてきた時代でもあります。また、1755年のリスボン大地震によって一気に高まった需要によってより実用的なものが普及しました。 18世紀に入りシノワズリの流れがひと段落すると、17世紀には青一色のものが主流だったアズレージョの世界では、再び初期のように黄色や緑などの色が使われるようになります。また需要の高まりによって、スペインやイタリアなどからも陶工がポルトガルにやってきました。彼らがこの時にポルトガルへ持ち込んだのは、ルネサンス期に生まれたマヨリカ焼きという技法でした。この技法によってタイルに直接色付けをすることが可能になり、芸術表現の幅が一気に広がることとなります。 20世紀に入り、戦間期には巨匠ジョルジュ・コラソによってポルトのサン・ベント駅構内に現存する2万枚からなるアズレージョが完成しました。このアズレージョもポルトガル建国の歴史を描いたものなので必見です。 こうしたアズレージョの歴史をより深く学ぶのにぴったりな場所は、リスボンにある国立アズレージョ美術館です。地下鉄ブルーライン終点のSanta Apolónia駅から歩くこと15分と、すこし観光地中心部から離れているので観光プランから外されがちですが、これを見ずに帰るのはとても勿体ないです! 博物館自体はもともと1509年に建てられたマドレ・ドゥ・デウス修道院を改装した建物です。中庭を囲むように造られた回廊や、内壁の全面をアズレージョで飾った教会など、建物自体が美術館といっても過言ではないほどです。アズレージョ美術館の展示の順路は、14世紀にもたらされた初期のアズレージョから現代のものまで時代順になっています。時代によって変化していく作風を追っていけるのでとてもわかりやすい作りになっています。 館内で一番の見どころともいえる教会内部は、所狭しと敷き詰められたアズレージョの青と、大航海時代のポルトガルの繁栄を感じさせる黄金が眩しい場所です。一枚一枚緻密に計算されて描かれたタイル同士をジグソーパズルのように貼り合わせたものです。とにかくこの教会に入るためだけでも、この美術館を訪れる価値があります。二階部分には、現代ポルトガルの新進気鋭のアーティストたちが、伝統を重んじながら現代風のエッセンスを吹き込んだ現代のアズレージョの展示がされていて、600年にも渡って脈々と受けつがれているポルトガルの伝統を垣間見ることができます。 ■サン・ベント駅(Sao Bento Station) 営業日:不定 住所: Praca Almeida Garrett, Porto, 4000069, Portugal ■国立アズレージョ博物館 営業日:10:00~18:00 月曜定休日 住所: Rua da Madre de Deus, 4, Lisbon, 1900312, Portugal 入店料金:5ユーロ 公式サイト(英語):http://www.museudoazulejo.gov.pt/en-GB/default.aspx Mon, 04 Nov 2019 00:00:00 +0900 スペインのサントリーニ? http:///blog/item/12711.html http:///blog/item/12711.html スペインでも有数の地中海リゾート・アリカンテを訪れた際に是非訪れてみたい町があります。 「スペインのサントリーニ島」とも呼ばれるアルテア(Altea)です。スペインのイメージである白い壁がまぶしい家々が軒を連ねるこの街は、スペイン南部アンダルシア地方に特有で、バレンシアではあまり見られないものなのです。 街は地中海に面した新市街と丘の上の旧市街に分かれていて、新市街には玉石のビーチとそれに面したリゾート、対して旧市街には真っ白な家が立ち並んでいて特に夏の海水浴シーズンは国内外から観光客で混み合います。 丘の上の旧市街地から見えるコスタ・ブランカの海岸線と家々の白いしっくいが石畳を挟んでまぶしく太陽光を反射している景観はとても印象的。旧市街には濃紺のドームが特徴的な教会や飲食店がたくさんあるので、テラス席でゆっくり過ごしながら地中海を眺めたり、3か所あるマリーナから地中海クルーズを楽しむのもおすすめです。 アリカンテからトラムで到着する駅は、旧市街のある丘の下の方なので坂や階段を登らなければいけません。丘を登っていくと道中には展望台がたくさんあるので足を止めてみましょう。ここアルテアという地名は「見晴らしの良い所」というアラビア語が元となっていて、文字通り晴れた日には太陽光がキラキラと反射する地中海と赤茶色の屋根と白い街が映えます。 旧市街の中心にある濃紺のドームが目印の教会は「ヌエストラ・セニョーラ・デル・コンスエロ教会」は、旧市街の純白な景観とのハイライトが印象的です。 風光明媚なこの町に惹かれるアーティストが昔から多く、旧市街を歩くとアーティストたちのギャラリーやアクセサリー、陶器などを売るお店やレストランをよく見掛けます。 穏やかな時間をリゾートで過ごしてみたい方、是非アルテアを一度訪れてみては如何でしょうか。 ◆インフォメーション◆ アルテア観光公式サイト(スペイン語のみ):https://www.visitaltea.es/es/ ※あまり売店はないため、夏に訪れる方は水分は事前に購入しましょう。 アリカンテから約60km。車で45分、バスで1時間半前後。もしくはトラムで1時間半。トラムは一時間に一本程度で、アリカンテ市内からT1トラムの終点まで乗り、T6のトラムに乗り換え、5つ目の停留所。 Fri, 01 Nov 2019 00:00:00 +0900 聖母が降り立った場所・ファティマ http:///blog/item/12731.html http:///blog/item/12731.html  ポルトガルの首都・リスボンから車で約二時間ほどのところにあるカトリックの聖地・ファティマ(Fatima)。 ポルトガルの観光地の中でも指折りで有名な場所ですが、ここファティマは20世紀のはじめに聖母マリアが現れた場所として、ローマ教皇庁公認の巡礼地に指定されています。 今回のブログでは、ポルトガルの奇蹟が起きた場所・ファティマについてです! 今でこそ世界中から巡礼客が訪れているファティマではありますが、聖母が現れる以前は木もあまり生えていないような荒地でした。この地に暮らしていた三人の子どもたち、ルシア・サントス、フランシスコ・マルト、ヤシンタ・マルトの前に突然聖母が現れることになります。この聖母の出現は、のちにローマ教皇庁が認める16の奇跡のうちのひとつとなりました。 聖母は1917年の5月13日に子どもたちの前に初めて現れたと言われており、それ以降毎月13日に現れては子供たちに様々なメッセージを残しました。それらは「ファティマの預言」として大まかに、当時真っ最中だった第一次世界大戦の終結と次なる大規模な戦争の勃発、教皇暗殺計画、死後の地獄の存在などが子どもたちに伝えられたと言われています。そして7回目の預言日には、ファティマの街におよそ7万人もの群衆が一目奇蹟を見ようと詰めかけました。そして10月13日に、大群衆の目前で太陽が回転や急降下する不可思議な動きをする現象が起こり、その場にいた新聞記者によって一気に有名になりました。 このファティマには一年を通して願い事をするために全世界から巡礼者が訪れますが、特に最初と最後の預言日である5月13日とその前日、そして10月13日には数万の人々が訪れ、聖母出現祭が開催されています。 現在ファティマ市内中心部にある広場を訪れると、中央には目を引く純白な大聖堂があります。高さ65mの白い尖塔を中心に左右に翼を広げたように建物が広場を取り囲んでいます。ファティマのシンボル的な存在であるこのネオ・クラシックの大聖堂には、聖母の目撃者でもあり、スペイン風邪で幼くして亡くなった兄妹、ヤシンタとフランシスコの遺体が納められていて、もう1人の目撃者、ルシアはその後修道女となり、2005年に帰天しこの修道院に棺が安置されています。 大聖堂の前の広場には一本の祈りの道が設けられていて、聖母が出現したとされている場所に建てられた礼拝堂まで続いています。世界中から巡礼のために集まった人々はここを通りますし、毎年の聖母出現祭の前夜祭ではこの広場がキャンドルを持った巡礼者たちで埋め尽くされます。   敷地内部には聖母が現れた後に湧き出してきたといわれるファティマの聖水という大きな噴水やキリストの十字架、世界平和を祈ってドイツ・ベルリンからそのまま移転されてきたベルリンの壁の一部もケース越しに展示されています。聖母が出現した場所に色々なお願いをしてみてはいかがでしょうか。 ■ファティマ大聖堂 住所:Rua de Santa Isabel, 360 2495424, Fátima, Portugal 電話番号:+351 249 539600 公式HP(英語):fatima.pt/en アクセス:リスボンからバスで1時間半程度。ファティマ・バスターミナルから徒歩5分。 Mon, 28 Oct 2019 00:00:00 +0900 ステンドグラスが美しい世界遺産 http:///blog/item/12717.html http:///blog/item/12717.html スペイン・バルセロナにはガウディの作品群、サンパウ病院と一緒に世界遺産に登録されているカタルーニャ音楽堂(Palau de la Música Catalana)という、世界で最も美しいとの呼び声も高い音楽堂があります。 カタルーニャ音楽堂は今から110年以上前に建築家モンタネールによって建てられました。実は近代スペインを代表する建築家だった奇才ガウディの師でありライバルでもあった彼は豪華絢爛な装飾のなかに合理性を見出す建築を得意としていました。彼の建築の中でも最高傑作と言われるこのカタルーニャ音楽堂は、スペインの民族主義的な文芸復興運動の中で生まれたモデルニスモ様式と呼ばれ、ガウディの建築にも見られるものです。 まず音楽堂外観の角には、目に付く彫刻があり、その中心にはバルセロナの守護聖人であるゲオルギウスが。また、この音楽堂は「庶民のための音楽堂」とも呼ばれていることから聖ゲオルギウスが庶民を音楽の世界へと誘っている様子が彫られています。 入り口は音楽堂の裏側にあり、このブースで中で行われるコンサートやガイドツアー(英語のみ)のチケットを購入できます。観光客向けのものから新進気鋭の指揮者の演奏まで、幅広く行われていて人気のチケットはすぐに売り切れてしまいます。 中に入って一番の見どころは、何と言ってもコンサートホール天井にある大きなステンドグラス。昼間は太陽光が差し込み、暖かい色となり、逆に夜は電灯によって全体的に青く光ります。基本的にガイドツアーは昼間、コンサートは夜行われるので、色の違いを見比べてみるのも良いのではないでしょうか。 それ以外にもホールの柱や天井のレリーフや彫像のどれもがこだわって造られているので、そちらもお見逃しなく。 また、昼間のガイドツアーでしか見ることができないホール正面の休憩室とテラスです。テラスは正面外側から見上げることもできるのですが、バロック・モデルニスモ・ムデハルといった建築様式が混ざり合い、カラフルで一本一本の色彩やデザインが異なるモザイクの柱が並ぶフォトジェニックな空間なのでぜひぜひツアーに参加することをオススメします。 もしスペインを訪れるなら、世界遺産にも登録されたこの音楽堂で至高のコンサートと建築を一挙に体験しませんか? ◆インフォメーション◆ ・カタルーニャ音楽堂(Palau de la Música Catalana) ・住所:C/ Palau de la Música, 4-6, 08003 Barcelona ・公式HP(英語):https://www.palaumusica.cat/en Fri, 25 Oct 2019 00:00:00 +0900 街歩きにピッタリ!ポルトガルのビーチ http:///blog/item/12691.html http:///blog/item/12691.html ナザレ(Nazaré)はポルトガルのコスタ・デ・プラタ(銀の海岸)沿いにある小さな漁港のある街で、古代に現パレスチナにあるキリストが生まれた地・ナザレから聖母像を運び込んだことからこの名前になったと言われています。 現在ではポルトガル国内有数のリゾート地として、ヨーロッパ各地から観光客が訪れています。特に夏場の海水浴シーズンにビーチに所せましと色とりどりのパラソルが並びます。そしてこの街に滞在していると、現在でも伝統の衣装を身につけた女性をたくさん見かけます。他のリゾート地にはない、素朴でちょっと懐かしい感じのする漁師の街です。 ◆街を歩く◆ 街の南側、海沿いにあるのがプライア地区。美しい海岸線に沿った街の目抜き通りを歩いてみましょう。通り沿いにはレストランやホテル、お土産屋などが並んでいます。この大通りを歩いていると、ベンチでおしゃべりをしている地元の人たちや夏場にはビーチに張ったパラソルの下で肌を焼くリゾート客、高台に向かっていくカモメの群れなど、この街らしいゆっくりとした時間が流れています。 夕方にはケーブルカーに乗って高台へ登ってみましょう。シティオ地区一番の高台から見えるコスタ・デ・プラタの美しい海岸線とオレンジの屋根が建ち並ぶナザレの街並みは忘れられない旅の思い出となるでしょう!オススメなのは日没の時間帯。展望台のベンチに座って、コスタ・デ・プラタの水平線にゆっくりと沈んでいく太陽を見て漁港のゆっくりとした時間を感じてみて下さい。展望台の近くには聖母が騎士の命を救ったという奇跡に感謝して12世紀に建てられたという礼拝堂が現在でも残っています。ちょっと分かりづらいかもしれませんが探してみて下さいね。 都会にいるとどうしてもせかせかと時間が流れて行きますが、それから一歩距離を置いて、じっくりと考え事をしたり、体や心を休めたいという人におススメです。 ◆街に伝わる伝統衣装◆ この街に住んでいる女性たちは、今でもナザレ伝統の衣装を身にまとって暮らしています。頭を黒くて大きいスカーフで覆い、カラフルなひざ丈のスカート、そして刺繍が入ったエプロンというスタイルです。スカーフやスカートの色や柄も同じではなく、一人一人の個性的でおしゃれな着こなしがナザレの街に彩りを加えています。 ◆名物料理◆ ビーチ沿いの大通りにはたくさんのレストランや土産屋がならび、中にはナザレで獲れたアジの開きやアサリ、車えびなど漁師の街だけあって海鮮系のジャンルが新鮮かつ豊富です。街自体も徒歩で一日あれば十分満喫できるほどコンパクトで、でもゆっくり探検してみるとあたらしい発見があって楽しいです。 少し路地に入ると細い小道がたくさんあります。伝統的な白い壁の家々に洗濯物や立ち話をする年配の方々、路地からちらりと見えるビーチなど、思わずシャッターを切りたくなるような光景があちらこちらに! ■アクセス■ リスボンのセッテ・リオスバスターミナルよりバスで約2時間。 Mon, 21 Oct 2019 00:00:00 +0900 アラゴンの古都:サラゴサ http:///blog/item/12709.html http:///blog/item/12709.html スペイン北東部にあるアラゴン州の州都・サラゴサ(Zaragoza)。 スペインの2大都市マドリードとバルセロナの丁度中間地点にあり、他の大都市や観光名所にもアクセスが便利な立地のため旅行者も年々増えてきています。 またスペインの歴史の中で重要な、イスラーム勢力による支配とキリスト教徒によるレコンキスタ(国土再征服)。このサラゴサの地も例外ではなく、8世紀初頭からイスラーム教徒の支配下として統治され、この時期に現存している様々な建築が作られました。その後12世紀にレコンキスタによりアラゴン王国の首都となり、周辺にあったイスラームの小王国を征服してカタルーニャと連合王国を組むまでに発展しました。 その連合王国の最大版図はイタリア南部からアテネ、マルセイユまで延び、地中海の大帝国となりました。近年では2008年にサラゴサ国際博覧会の開催や、地元のサッカーチーム、レアル・サラゴサに日本から香川選手が加盟したことでで注目を浴びています。 今回はそんな現在のスペインの基礎を作ったともいえる、アラゴン王国の古都・サラゴサにある観光名所をご紹介します。   ◆ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂◆ 伝承によれば、ローマ統治下の西暦40年、キリスト12使徒の一人、聖ヤコブがエブロ川の岸辺で祈っていると、聖母マリアが彼の目の前に現れてヤコブに柱を与え、これを使って教会を建てるように命じたと言われています。彼はその通りに川辺に聖母を讃える小さな礼拝堂を建て、これが世界初の聖母に捧げられた聖堂となりました。それ以降、教会は焼失と再建を繰り返し、17世紀に現在のバロック様式の巨大な大聖堂が建てられました。 当初奉納された柱が置かれた部屋にはいつも参拝者で賑わっています。それ以外にも大聖堂の内部は芸術的な装飾品で飾られています。エレベーターで塔の上まで登ることができ、塔からはサラゴサの街並みを一望できます。教会自体も特に夕暮れ時は美しく、エブロ川に反射するライトアップが人気です。また、この教会で祀られている”柱の聖母”はスペイン語圏で守護聖人としてスペイン国内の聖母信仰の中心地でもあります。 ◆ラ・セオ(サン・サルバドール大聖堂)◆ ローマ広場の一角には、ラ・セオ(大聖堂)が建っています。これは様々な建築様式を融合した独特の建物です。というのもサラゴサがイスラーム教徒の統治下にあった際に、この建物はサラゴサ最大のモスクとした建てられたという歴史があるからなのです。この大聖堂には、外観はイスラム建築、内装はゴシック建築に分かれ、場所によってはロマネスク、ルネサンス、バロックと、全部で5つの建築様式が使われていて、世界遺産「アラゴンのムデハル様式の建築物」のうちの一つとして登録されています。 併設の博物館には中世フランスのフランドル地方のタペストリーが収蔵されています。 ◆ピラール広場、ラ・セオ広場◆ エブロ川のほとりに歴史的な建築物が集まる旧市街の中心地がピラール大聖堂の前にあるピラール広場、そしてピラール広場の東側にある、ラ・セオ広場(ローマ広場)です。ラ・セオ広場はローマ時代の街の中心地で、地下には初代ローマ皇帝アウグスティヌスを祀った神殿跡が残っています。紀元前から現在までずっと街の中心だった、というのはすごいことですよね。現在ではフリーマーケットなどが開催されています。 ◆アルハフェリア宮殿◆ 旧市街の西側に建つ世界遺産「アラゴンのムデハル様式の建築物」のうちの一つ、アルハフェリア宮殿です。11世紀のイスラーム統治下でスルタン(国王)の城として建設され、レコンキスタでサラゴサがキリスト教徒に奪回されてから改築され、アラゴン国王やカトリック両王の居城や宗教裁判所として使われました。 現存している宮殿内には、イスラーム美術の傑作・二連アーチや礼拝堂、オレンジが植えられたパティオ、天井の装飾としてアラゴン王国とカスティーラ王国の国章を囲んで八芒星が刻まれていて、夜のライトアップによく映えます。イベリア半島に現存しているイスラム建築としてコルドバのメスキータ、グラナダのアルハンブラ宮殿と並ぶ代表的建築とも言われ、アルハンブラ宮殿の建築にも影響を与えたようです。1987年から建物の一部をアラゴン自治州の議会が使用しています。 ※建築された当時の状態で残っている床や壁がある場所は立ち入り禁止となっています。 ◆サン・パブロ教会◆ 世界遺産「アラゴンのムデハル様式の建築物」のうち最後の一つが、サン・パブロ教会です。13世紀に建てられたこのゴシック・ムデハル様式の建物は、何度かの改築を経て今に至ります。特に教会内部のルネッサンス期の彫刻には一見の価値があります。 ◆サラゴサ美術館◆ 旧市街にあるサラゴサ美術館には、ローマ時代からの美術品が収蔵されていて、スペインを代表する画家・ゴヤの作品と北斎や広重らの浮世絵が人気です。博物館は考古学と美術のセクションに分かれており、ここでしか見ることができない貴重なコレクションが収められています。 ◆プエンテ・デ・ピエドラ(石橋)◆ ピラール聖堂の脇を流れるエブロ川にはもともと、ローマ時代に造られた橋が架かっていました。この跡地に7つのアーチからなるゴシック様式の橋がプエンテ・デ・ピエドラです。 橋の両端にはサラゴサのシンボル・ライオン像が設置されていて、ピラール聖堂を写真に収めるピッタリなスポットでもあります。 この橋の下を流れているエブロ川は、”イベリア”の語源となった川でもあり、スペイン国内だけを流れる川としては最長の約930kmの大河です。紀元前にはカルタゴとローマとの国境代わりでもあり、カルタゴの将軍ハンニバルが10万の軍勢を率いてこの川を渡り、ローマに戦争を仕掛けたことは世界史でも重要な事件です。 ◆ピラール祭◆ 毎年10月12日に行われる、スペイン4大祭りの1つ「ピラール祭」。旧市街のピラール広場で行われ、聖母の祭壇が花で彩られたり、花火や闘牛、パレードなどでサラゴサの街が盛り上がります。国内外から多くの観光客が集まり、その数はサラゴサの全人口の3倍にも及ぶのだとか。 夜のサラゴサの町歩きもぜひ! ピラール教会へと続く大通り・アルフォンソ1世通りは、夜遅くまでショッピングを楽しむ人でにぎやかですし、レストランやバルもあり食事やお酒を楽しむことはもちろん、旧市街の建物を中心にライトアップも行われているので昼間とはまた違った街を楽しむことができます。 もしスペインに訪れたい、とお考えなら、このサラゴサも是非旅程に加えてみては? Fri, 18 Oct 2019 00:00:00 +0900